新人事制度 大阪での報告①~③
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自民党の安倍普三幹事長代理が講演で首相の靖国参拝について「外国から行くなと言われる筋合いはない。今後とも参拝していただきたい」「次のリーダーもその次も受け継ぐことが大切だ」と述べたそうである。外国とは中国のことだ。例によって威勢がいい。 しかし、靖国神社は果たして「中国から行くなと言われる筋合いは無い」ところか。 靖国神社にある「遊就館」(戦争展示館)には「ゼロ戦」が展示され、その初陣であるところの中国重慶での空中戦(1940年)の華々しい戦果を誇らしげに説明してあるという。そうして制空権を得た日本軍は激しい重慶爆撃を繰り返す。死者2万人前後。 当時、国民党政府を率いていた蒋介石主席は、安倍普三氏の祖父・岸信介と戦後は親密な仲となるが、このころ日本軍の侵略を「世界でもっとも野蛮だ」と糾弾している。現在アメリカがイラクのファルージャでやっているようなことを、当時の日本は中国の各地で繰り返していたのである。 小泉総理はA級戦犯について「死者に生前の罪まで着せて、死んでも許さないというのは、日本人にはなじまない」と語っている。これなら、A級戦犯の「生前の罪」はいちおう認めているようでもある。ところが、靖国神社は違う。神社のパンフレットによれば、A級戦犯たちは「ぬれぎぬ」を着せられたことになっているらしい。つまり、あの戦争は悪くなかったということなのである。そして小泉さんがその神社見解を批判したという話は聞かないから、それで参拝を繰り返すなら、「やっぱり日本の総理大臣はあの戦争を肯定している」と外国から思われてもしかたないのではないか。 これでは、中国だって黙っているわけにはいかない。いや自民党の政治家やマスコミはことさらに中国ばかりをあげつらって「大国による内政干渉」といったイメージを作ろうとしているけれど、韓国だって他のアジアの国々だって、みんな日本の総理の靖国参拝に反対しているし、日本人の戦争に対する反省の欠如を怒っているのだ。 日本人もあの戦争では酷い目にあった。広島・長崎に投下された原爆だけでも何十万人もが殺され、子孫までが今も被爆の後遺症に苦しんでいる。そのことで日本政府がアメリカを批判しないことを立派なことであるかのように言う人がいるが、それは違う。日本は自分が受けた虐殺行為は糾弾すべきだし、日本がやった虐殺に対しては反省しなければいけないのだ。それが戦争や暴力を減らしていく道だろう。 #
by suiryutei
| 2004-12-02 10:08
| ニュース・評論
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今日から12月。例によって拙HPも小さな衣替えをした。 今月の表紙は、八戸〔番丁庵]で飲んだ“頑亭ワイン”である。 生ビールを一杯飲んでから、鰯のカルパッチョを肴にこの頑亭ワインを飲んでいると、ご店主の佐藤さんが「今、ワインに合うのを作りますから」と言って、白身魚(鯛だったかしら)を焼いた一皿を出してくれた。フランス料理風の一品で、かかったソースが独特で赤ワインに素晴らしく合った。ワインを飲み終えて清酒に移ると、今度はソイの刺身、しめ鯖、そばかっけ(青森の郷土料理で蕎麦を使った鍋)と続く。これがまた日本酒によく合うのだ。 そうそう、蕎麦寿司を書き落とすわけにはいかない。今まで食べた中で最高であった。蕎麦に巻かれた穴子の旨さも忘れがたい。 ![]() それから「最近行った店・楽しかったこと」のコーナーに東北旅行の写真の一部をUPしました。こちらも、どうぞご覧あれ。 #
by suiryutei
| 2004-12-01 10:50
| 身辺雑記・自然
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八戸の[番丁庵]さんが、お店のHPに酔流亭夫婦の八戸訪問のことを紹介してくださった。『庵主の部屋』というコーナーである。 ![]() ご店主の佐藤さんには本当にお世話になった。 まず、お店ではおまかせを出していただいたのだが、八戸の新鮮な魚介を鮮やかに料理してくださる。酔流亭は魚が大好物なのである。そして酒を飲むなら蕎麦屋が一番いい。ところが、気持ちの良い蕎麦屋で旨い魚介で酒を飲むというのは、普通は両立しないものなのだ。それをふたつながらにやってくれたのがこの夜の[番丁庵]であった。 ![]() そのあと、佐藤さんに連れられて、近くにある[番屋]という居酒屋に行った。この店の頑固でおっかなそうなご店主が、私たちのような一見の関東者に柔和な笑顔で応対してくれたのは、佐藤さんの客であったからに違いない。この店もよかった。 八戸は魚が売り物の町である。ということは、土地の酒飲みも、遠来の観光客も、一杯やるなら居酒屋か寿司屋に行こうと考えるだろう。初めて訪八したときの私たちがそうだったように。 そういう土地で本格の手打ち蕎麦を続け、盛業するには、料理人として抜きん出た技量と、店主としては遊び心が無ければなるまい。[番丁庵]が毎月行っている蕎麦会は、きっとそんな遊び心の溢れた集まりではないか。 また出かけて行きたい。 [番丁庵]さんのサイトはここ。 http://www.aomoring.net/~banchouan/ #
by suiryutei
| 2004-11-30 13:17
| 酒・蕎麦・食関係
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盛岡の話の続き。 ![]() 盛岡の駅から[ぽらあの雪峰庵]まで歩いて行った。開運橋を渡ると、北上川の向こうに岩手山が美しい。橋を渡りきったところに「啄木新婚の家」への道しるべが立っていた。お昼まで、まだ時間があるし、行ってみることにする。 ![]() 藩政時代に建てられた同心屋敷だという。保存状態が良く、見学無料というのが嬉しい。石川啄木は二十歳のとき同い年の堀合節子と結婚して、ここでしばしの新婚生活を送った。 結婚式も、この家で行われたのだが、なんと新郎の啄木は自分の結婚式に出席していない。東京から帰る途中、仙台で汽車を降りて、ここで例によって借金をしたり遊んでいたのである。花嫁だけの式であった。まったくひでえ男である。 もっとも酔流亭も人のことは言えない。結婚したとき、職場の友人たちが「祝う会」を銀座のレストランで開いてくれたのだが、酔流亭はその二日前に上野駅で転んで右足の膝の皿を割り、救急車で運び込まれて入院してしまった。だから「祝う会」当日は病院のベッドの上である。ほとんど見知らぬ人たちばかりの中に女房一人が出席して、皆に励まされるということになった。 酔流亭の場合は、啄木みたいにすっぽかしたわけではなく、やむをえない欠席であるが、女房に心細い思いをさせたことには変わりない。 しかし、啄木が人間としていかに欠点が多くとも、才能というものはかなわない。「新婚の家」の玄関に掛けてあった一首。 ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとはありがたきかな やっぱり、いいねぇ。 #
by suiryutei
| 2004-11-29 09:34
| 文学・書評
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24日に八戸の[番丁庵]、26日は平泉の[地水庵]に行ったと日記に書いた。では、その間の25日はどうしたかというと、盛岡の[ぽらあの雪峰庵]という蕎麦屋でお昼を食べたのである。 最初、このお店の名を教えてもらったとき、「ぽらあの」を「ほら あの」と思い込んでしまった。で、「ほら、あの」と言われたって、どうも覚えが無い。どこかで話題になった店なのかしらと、女房と二人、おおいに頭を悩ませたものだ。 この店の蕎麦は美味かった。[番丁庵]と[地水庵]の間に食して、そう感じたのだから、相当なものである。しかし、その店の名の由来が蕎麦を食べ終えてもわからない。それで、お勘定のとき店の人に訊いたら、戸棚にある絵本を指差して「宮沢賢治の本からとったんですよ」と教えてくれた。その絵本は『ポラーノの広場』とあった。 家に帰って本棚を捜してみたら、新潮文庫版『銀河鉄道の夜』の中に、いくつかの短編とともに、この作品が収められていた。ただし、この文庫版では『ポランの広場』という題になっている。 非常に短いファンタジーで、イーハトーブ地方の夏祭りの夜に、村のボスらしき山猫博士なる人物と小学生の子供が決闘沙汰を起こす話である。この二人は信仰上で違う宗派に属しているらしいので、現代世界の最難題のひとつである宗教間の対立をここに読みとることも可能かもしれない。 それにしても、賢治の花巻は酔流亭にとっては祖先の地である。酔流亭の祖父は宮沢賢治が生まれた同じ年に花巻で生まれた。それなのに、「ぽらあの」と聞いても、店の人に教わるまで賢治の作品に縁のある名とは気付かなかった。己の不明がすこし恥ずかしい。 #
by suiryutei
| 2004-11-28 23:52
| 文学・書評
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