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新人事制度 大阪での報告①~③
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朝、勤務を終えて駅に向かっていると、まだ6時半をまわったばかりだというのに歩けば汗ばむような陽射しである。桜はまだ散り残っているけれども初夏のようだ。「そういえば、啄木が死んだのは今頃の季節ではなかったかしら」と思い当たり、家に帰って調べたら4月13日が命日だった。明治45年(1912年)のことである。啄木、27歳だった。 死因は結核で、亡くなったのは午前9時ごろ。父、妻とともに1歳年上の友人、若山牧水が死をみとった。牧水はこう詠んでいる。 初夏の曇りの底に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり 今年の4月13日、つまり一昨日だが、東京は小雨が降って冬に戻ったような寒さ。牧水は初夏という言葉を使っているが、今頃の陽気はお天道様の気分しだいで冬に戻ったり夏にすすんだりする。 午前9時やや晴れそむるはつ夏のくもれる朝に眼を瞑(と)じてけり 君が娘(こ)は庭のかたへの八重桜散りしを拾ひうつつとも無し 病みそめて今年も春はさくら咲きながめつつ君の死にゆきにけり 以上、すべて牧水の歌。 去年の秋、八戸の[番丁庵]と平泉の[二足のわらじ 地水庵]を巡る旅蕎麦をした途中、盛岡で啄木の新婚当時の家が保存されているのに寄ってみた。石川啄木という人、才能豊かだけれど、人間としてはどうも問題が多かった。澤地久枝著『石川節子』は啄木夫人・節子の生涯を描いたもので、我が家にも女房の本棚に置かれているのだが、酔流亭は読もう読もうと思いながら未読だ。著者の澤地久枝さんは現在『憲法9条の会』で奮闘されている。TVでしか視たことはないけれど、和服の似合う素敵な方に思われる。 今日も午後から風が強い。我が家の二階から眺められる桜はまさに花吹雪の観。 #
by suiryutei
| 2005-04-15 17:51
| 文学・書評
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「竹島」のことで韓国との仲が険悪になったかと思えば、今度は中国での「反日デモ」だ。どうも四面楚歌という感じである。 竹島の領有権についての韓国の認識には誤解があるとか、中国のデモは官製だとか国内の不満のガス抜きだというのは、一面をとらえているかもしれないが浅い理解だろう。根本にあるのは、アジアの国々に侵略戦争を仕掛けたことを日本が反省していないことへのアジアの人々(中国や韓国だけではない)の不信である。それを象徴するのが小泉総理の靖国参拝だ。 去年の今頃(04年4月20日)、哲学者の梅原猛氏は、こう書いている。 「・・・(小泉首相は)二度と戦争を起こさないという誓いを立てるために靖国に参るのだと広言した。靖国には東条首相も祀られているので、小泉首相がそう言えば、東条首相の霊は『この弱虫め。英米は敵じゃ。何度でも戦争をやれ』と怒鳴りつけるにちがいない」(『理性の復習招く靖国参拝』朝日04/4/20朝刊)。 靖国参拝の本質は、まさにここにある。あの戦争は正しかったといまだに主張し続けている宗教施設に参って「戦争をしないよう祈りました」と言ったって、諸外国が納得しないだけでなく、われわれ日本人だっておかしいと思う。 「郵政民営化問題」で頭がいっぱいらしい小泉総理は、現在の外交問題については「未来志向で・・・」としか語らない。これもおかしい。「未来志向」という言葉は、被害を受けた側が、謝罪する加害者に対して「もういいですから・・」という文脈で使われるものだろう。充分な謝罪をしていない側が、そのことに不満を持つ相手に向かって言う言葉ではない。 ポスト小泉には、もっとタカ派が出てくる可能性があるらしい(たとえば安部普三とか)。たしかに、近隣諸国でのナショナリズムの高まりは、タカ派に出番を与えやすくしよう。梅原さんの一年前の文章は、こう結ばれている。「・・・日本人に塗炭の苦しみを与えたかの理性なき東条首相の二の舞を演ずることになるのではないかと憂えるものである」。 そうならぬよう、酔流亭もささやかながら声を上げていきたい。 #
by suiryutei
| 2005-04-14 11:51
| ニュース・評論
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一昨日・昨日と泊まり勤務で、今日は明け。明日・明後日がまた泊まり勤務になる。つまり今日は自宅で夕食をとり寝ることができる貴重な時間だ。 朝9時に仕事を終えてから職場で風呂に入り、神田神保町に出て喫茶[ミロンガ]にて小憩。いつもタンゴが流れている店だが、入店したときピアソラの曲がかかっていた。酔流亭がタンゴという音楽を見直したのは、ピアソラを知ってからである。すこしヤクザっぽいところがいい。 今日は「花冷え」という以上に冬に戻ったような寒さで、こんな日には蕎麦屋で燗酒を酌みたいところなのであるけれども、午後、医者に行って花粉症と胃の薬を貰わなければいけないから、酒くさくなってはマズイ。それでお昼は山ノ上ホテル新館地下のレストラン[シェ・ヌー]でランチにする。ビールと赤ワインをグラスに一杯ずつ。ささやかな贅沢だが、ここのランチタイムは手頃な価格であるのがありがたい。 帰宅して医者にかかってから昼寝。女房に起こされたときは夜8時に近かった。寝すぎたかな。夕食は豚肉を使った鍋。最後の雑炊も美味しい。 泊まり勤務をやっていると、我が家で寝られることのありがたさをしみじみと感じる。 #
by suiryutei
| 2005-04-13 22:33
| 身辺雑記・自然
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京都と奈良への旅行から帰ってきたのが9日の夜遅く。翌日の日曜日、朝目を覚まして二階の窓を開けると、向かいの家の屋根ごしに満開の桜を眺めることができた。その方向で酔流亭の家から30メートルほど先に小さな神社があり、そこの境内に桜が一本あるのである。以前は向かいの家に隠れてほとんど見えなかったのだが、だんだん成長してきて、去年あたりから我が家の二階で花見ができるようになった。それで、その日の昼は奈良で買った「春鹿・純米吟醸封印酒」の封を切って浅酌することになる。 その日曜日は、昼前から風が強く吹いた。そして昨日、今日と雨だ。桜が満開になると、必ずこうなる。儚いものである。 13年前の4月11日に酔流亭の母は死んだのであるが、その年の桜前線も今年と同じような歩みで、満開になったのは4月上旬。母は信濃町の慶応病院に入院していたから、最後は総武線の車窓から毎日お堀端の桜を眺めながら病院通いをしたものだ。 11日の夜遅く、遺体を自宅に運び、12日がお通夜。その夜ふけは強い風雨となった。翌日はよく晴れたが、焼き場の桜は前夜の雨と風ですべて散ってしまい、庭一面に桜の花びらが散り敷かれていたのを憶えている。 今年の桜も、この雨で終わりだろうか。酔流亭は先週遊んだ当然の報いで、今週は泊まり勤務が続き、つぎの休日は17日の日曜である。それまでは、もたないだろうなあ・・・。 #
by suiryutei
| 2005-04-12 17:23
| 身辺雑記・自然
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今日も旅の話。 京都での夕食を、奮発して[祇園さか本]という板前割烹でとることにした理由のひとつは、この店が歴史家の故奈良本辰也氏の行きつけだと聞いていたからである。奈良本氏の著書『日本名酒紀行』の中にこの店の名が何度か出てくる。 この『日本名酒紀行』は図書館から借りて読んだものなので、いま手元には無いが、面白い本であった。奈良本氏ご自身が愛酒家だからこそこういう本を書いたのだろうが、故服部之総の一番弟子であり近世史の専門家だった著者にとっては、全国の造り酒屋というのは封建制の胎内から近代社会が生まれてくる過程をさぐる絶好の研究対象でもあったろう。江戸時代も後期に入ると、村方地主として富を蓄えた農民上層部が醸造業を始め、やがてマニファクチュア・ブルジョアジーへと転生していくのであるから。 その[祇園さか本]で出された食前酒は「春鹿」のにごりであった。奈良の酒だ。そして翌日の夕食をとった蕎麦屋[玄]はこの「春鹿」醸造元の敷地内にあるのである。蔵元の隠居部屋だった離れを店にしたという。 「春鹿」醸造元の今西家というのは、藤原家の血筋になり、興福寺の社司を代々務めていたのが、明治になってから醸造業を始めたらしい。つまり、この場合は我が国でも最も古い家格を持つ旧貴族が近代化の過程でマニファクチュア・ブルジョアジーへと変身していったということになる。このあたり、フランス革命のような強烈な断絶(市民革命)をくぐらなかった我が国らしい・・・しかも古都・奈良だからね。 ・・・それにしても[玄]で出された五種類の酒(「春鹿」以外の銘柄もあります)はどれも美味しかったな。また行きたいな・・・。 #
by suiryutei
| 2005-04-11 09:52
| 旅行
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