新人事制度 大阪での報告①~③
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■2004/10/15 (金) 08:38:06 旧友からのメール 2万アクセスを超えた直後だというのに、昨日は日記を飛ばしてしまった。 株式会社「ニコン」(カメラのあのニコンです)主催の公開講座『戦後60年からのまなざし』の第一回目の講師に色川大吉さんが招かれ、昨夜、銀座にあるニコンサロンで講演されたからだ。先週は草深い八王子で困民党の話、今週は銀座の一等地で「戦後の精神史的考察」と、先生は大忙しである。 で、昨夜は遅く帰宅し、今朝起きてみると、古くからの友人からメールが入っていた。アクセス2万件を祝ってくれるとともに、一昨日の『日記』に「古くからの友人でインターネットをやる者はほとんどいない」とあったのを、それは筆が滑りすぎだと指摘してくれた。たしかにそうだ。酔流亭が充分知らないだけかもしれないのだ。 これに限らず、酔流亭の表現はすこし雑なところがある。たとえば八王子で飲んだときのことにしても、「酔流亭以外すべて色川ゼミの教え子」と書いたが、たしかにほとんどは卒業生だが、全員そうだったわけではなかった。 これからは、もうちょっと記述に厳密を期したい。 と、反省したところで出勤の時間である。行ってきます。 #
by suiryutei
| 2004-10-15 22:10
| 身辺雑記・自然
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■2004/10/13 (水) 14:34:50 ありがとうございます。2万アクセスいただきました。 昨日、遅い勤務だったので、午後11時半を過ぎて帰宅すると、女房が「おめでとう」と。 女房が「もうそろそろかな」と昼間覗いてみたら20002件目だったそうだ。このHPが開設以来2万件のアクセスをいただいたのである。日付が変わらないうちにもう一度覗いてみたら、20019件になっていた。 去年7月7日に開設してから15ヶ月と1週間、いつもご愛顧ありがとうございます。 じつは、酔流亭の古くからの友人でインターネットをやっているのは、そう多くはない。職場にもあまりいない。アナログ人間ぞろいなのだ。自分だって、ついこのあいだまでそうだったのだから、人のことは言えない。だから、アクセスしてくださる方は見ず知らずの人のほうが多いのではないかと思う。掲示板を設置していないので、反応は充分にはわからないのだが、時々メールをいただくので励まされる。本当にありがたいことだ。 これからも見守っていてください。 #
by suiryutei
| 2004-10-13 22:11
| HP関連
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■2004/10/12 (火) 09:40:52 温泉旅館の災難 今朝のTVでも台風22号の被害を報じていた。ことに伊豆修善寺の温泉街は溢れた川の水が流れ込んで大変だったらしい。国指定の重要文化財に指定されている文人ゆかりの宿なども泥に浸かってしまったようだ。 その映像を視ていたら、井伏鱒二の随筆『谷津南豆荘の将棋盤』を思い出した。井伏は昭和15年7月12日、下田に近い谷津の南豆荘という温泉宿に逗留していて、記録的な洪水に遭っている。その晩は太宰治夫妻、亀井勝一郎も同宿していた。 「・・私は階下の部屋に眠っていたが、夜なかの二時ごろ『水だ、水だ』と叫ぶ声で起き上がると、そのときにはもう畳が水に浮いて、自分は浮いている畳の上の蒲団に寝ていることに気がついた。『この蒲団は畳ごと浮巣だな』と思った。急いで蚊帳の外に出た。枕元のリュックサックを背にすると、畳を踏み沈めたので、浮いている方の畳のふちで向う脛を打った」。 まことに舌を巻くほかない描写力であって、「浮いている方の畳のふちで向う脛を打った」という一行だけで、その状況がありありと目に浮かんでくるようだ。 もっとも、こんなふうに読者である酔流亭が無邪気に感心していられるのは、その災害がもうずっと昔のことであり、井伏も無事助かったことを知っているからだ。その時点では井伏も太宰も亀井も生きた心地がしなかったろう。実際、その洪水では相当数の死者が出ている。同じ晩に三宅島も噴火したそうだ。 随筆の題になっている将棋盤というのは、その洪水でどこからか宿に流れ着いたもの。後年、南豆荘を再訪した井伏は、この盤で同行の文春の記者と将棋を指したそうだ。何にしても災害はこわい。温泉宿はどうしても川べりに位置することが多いから宿の人たちは苦労だろう。今回の伊豆修善寺では死者は出なかったようなのは不幸中の幸いであった。 #
by suiryutei
| 2004-10-12 22:13
| ニュース・評論
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■2004/10/11 (月) 22:35:17 ホルモン焼き 地元駅のすぐ駅前にホルモン焼きの店が開店した。数日前のことである。 なんとなく気になったので、今日、仕事帰りに寄ってみた。 ホルモン(内臓のどの部分の皮になるのかしら)・タン・レバーをたのむ。ホルモンというのは「放るもの」、つまり捨てるところという意味なんだと誰かに聞いたことがある。なんとなく栄養がつきそうなイメージと合わせて、これは戦後復興から高度成長期に流行った食べ物ではないだろうか。子供の頃、銭湯にホルモン焼き屋の宣伝ポスターが掛かっていたような記憶がある。つまり、高度成長が始まった年(1955年)に生まれた酔流亭にとっては、なんとなく郷愁を誘うところがあるのである。といっても、今までにホルモン焼きを食べたことは数えるほどしかない。たしか漫画『じゃりん子チエ』のチエちゃんの家の家業はホルモン焼き屋ではなかったろうか。ああ、なつかしい。 で、味のほうは・・・。普段食べていないからよくわからない。まあ、勘定が安かったからいいか。酔流亭は生ビール2杯、女房は生ビールとレモンサワー。 ところで、このHPのアクセス数が明日あたり2万件を超えそう。 #
by suiryutei
| 2004-10-11 22:14
| 酒・蕎麦・食関係
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■2004/10/10 (日) 12:03:22 武相困民党120年 昨日、「武相困民党120周年記念フォーラム」(於・八王子市民会館)に参加するため朝10時半過ぎに家を出た。女房に車で成田線の湖北駅まで送ってもらう。ところが改札口に「台風のため運休します」との貼り紙が出ている。大急ぎで家に引き返すと、ちょうど女房が車を車庫にしまおうとしているところ。今度は常磐線の天王台駅まで運んでもらう。そんなわけで、会場に着いたときは、もう色川大吉さんの記念講演が始まっていた。 歴史に埋もれていた困民党に光が当てられてきた経緯、困民党と自由党とのかなり複雑な関係などについて色川さんは語られた。考えてみれば、専門である自由民権運動についてのお話を色川さんから聴くのは酔流亭はこれが初めてである。今まで何度か聞いた講演はいつも時事についてのものだった。まあ櫚子窓の弟子だからね。 そのあと若手研究者によるシンポジウム、地元劇団の芝居『地鳴り』と続く。明治17年、秩父事件と同じ時期にあたる武相困民党の闘いは、秩父事件とよく似たコースを辿りながらも、秩父のような大決起には至らず、未発のまま潰されてしまう。それだけに、これを芝居にするのはかなりむずかしかったろう。 途中の休憩時間にロビーから外を見ると凄い雨と風だったが、午後7時に散会する頃には雨はいったんあがっていた。八王子駅近くの[やるき茶屋]で色川さんを囲んで一献。酔流亭以外はほとんど色川ゼミの教え子たちだから、新参者の酔流亭は小さくなっていたけれど、たのしい酒だった。高名な歴史学者と[やるき茶屋]という取り合わせが好ましい。どうせ中央線は止まっているのだから(四谷あたりで土砂崩れがあったらしい)、腰をすえて飲んでしまった。 午後10時を過ぎても中央線は止まったままである。京王線まわりで新宿に戻り、どうにか帰宅することをえた。 ■2004/10/09 (土) 09:29:22 最強台風、接近 #
by suiryutei
| 2004-10-10 22:15
| ニュース・評論
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