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新人事制度 大阪での報告①~③
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今日の勤務は夜10時から。午前中に本日分の日記はもう書いたのだけれど、まだ時間があるので、もうひとつ書いてしまおう。 党首討論での小泉総理は幼児みたいだと今朝書いたが、小泉路線に反対している側にも幼児性がある。酔流亭の職場で数日前に撒かれていたビラには、こんな記述があった。 「・・・民営化に賛成した議員と、反対した議員の得票数を比べてみると、民営化に反対した議員の得た得票数は、賛成派を30万票も上回っています。この結果からすれば、小泉の郵政改革法案は『国民投票』で否決されていたことになります」。 えっ、と思ってその先を読むと、こういうことだ。 驚くなかれ! 小選挙区の得票数の合計では、賛成派よりも反対派のほうが多かった! 賛成派3389万票(49.78%) 自・公 反対派3419万票(50.22%) 野党 郵政民営化に反対する点では、酔流亭もこのビラの執筆者と同じ思いである。しかし、この計算はすこし無理があるというか、どうも往生際が悪いように思われる。 なぜかと言えば、あの民営化法案に反対した候補者の全てが民営化反対論者というわけではないからだ。もっとラジカルな民営化推進の立場から法案の「骨抜き性」を批判して反対した候補者だっている。民主党などはかなりの候補がそうだったのであって、だからこそ選挙後の方針転換も容易だったのだ。 民営化そのものに反対していたのは民主の一部・共産・社民の他はわずかな小政党を数えるだけだろう。野党の候補者すべてを民営化反対論に数えてしまうのは事実と違う。小選挙区制の弊によって得票差以上に議席差が開いたことを割り引いても、やはり民営化論が多数を制したのである。 これを言うのは、酔流亭が民営化論に屈したからでは、無論ない。われわれが現在の劣勢をはね返して多数の支持を得ようとするなら、事実に即して、もっと論理的な主張をしなければならないと言いたいのだ。そうでなければ、与党側の論拠の粗雑さやデマゴギー性を批判する道徳的根拠をわれわれは失ってしまう。 現在は少数意見であることを怖れる必要はすこしもない。そのことは認めた上で、大事なのはいかに多数に転じるかのしっかりした見通しを立てることだ。仲間内だけで気勢を上げて空元気をつけあっている場合ではない。 #
by suiryutei
| 2005-10-20 18:12
| ニュース・評論
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Comments(6)
昨日おこなわれた党首討論での小泉さんの言葉には笑ってしまった。 「靖国神社の参拝は憲法で保障されている。・・・『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない』と憲法19条に書いてある」・・・だから、何をしようと個人の自由だ、どうして靖国に行ってはいけないのか理解できない、という答弁であった。 笑ってしまったのは、その幼児性にだ。問われているのは、戦争を美化している靖国神社に参拝することの総理大臣の行動としての当否である。とにかく人からあれこれ言われるのはイヤだと言いたいだけなのに、憲法を持ち出してみせるところに、どうしようもない幼さを感じてしまう。我が国の国会のレベルも、堕ちるところまで堕ちたなあ、と思うけれど、その総理率いる与党に圧倒的信任を与えてしまったのも、我々国民であった。ああ。 一晩眠って、今朝目覚めると、外は素晴らしい快晴である。何日ぶりだろう。関東では、先週、三日間ほど良い天気が続いたことがあったけれど、そのときは秋晴れというより夏がぶりかえしたような陽気であった。10月らしい青空は今月に入って今日が初めて。中野重治の『十月』という詩が思い浮かぶ。 空のすみゆき 鳥のとび 山の柿の実 野のたり穂 それにもまして あさあさの つめたき露に 肌ふれよ 頬 胸 せなか わきまでも 我が家に一本だけ植わっている金木犀はもう終わってしまったけれど、これも一本だけの柚子に青い実が生っているのに今朝、気づいた。葉っぱと同じ青色なので、昨日までは気がつかなかったのだ。これから秋の深まりとともに色づいていくのだろう。 朝食のとき、女房が柿をひとつ剥いた(これは八百屋さんで買ってきたもの)。秋の味覚もまたよし。 #
by suiryutei
| 2005-10-20 09:44
| 身辺雑記・自然
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週末から今日の明け方まで、関東はずっと雨が降ったりやんだりであった。酔流亭の身辺に即して具体的に言うと、15日の土曜日、国分寺で色川大吉さんの講演会が終わったあと、駅南口にある[あかぎ]という居酒屋に寄った。かつて色川ゼミの面々が授業が済むとよく行ったので「あかぎゼミ」とも呼ばれたという店とか。それから線路を跨いで北口に河岸を変え、[かかし]という、これも居酒屋に入った。 その店を出たのが9時半過ぎで、そのあたりから雨が本降りになっていた。その雨が、今朝まで4日間、ほぼ断続的に降り続いたのである。昨日の予報では台風が関東に接近するということであったから、今日も一日雨かといい加減うんざりしたのだが、これは幸い東の海上にそれたようだ。 酔流亭の今日の勤務は泊り明けの「解放日」というやつで、朝9時に仕事が終わった。解放というのは、今日はもう夜は出てこなくていいですよ、ということである。明日、また泊る。 それで、御茶ノ水駅に出て、久しぶりに神保町の[ミロンガ]に寄った。タンゴを聴きながらガーリックトーストを齧り、レーベンブロイとギネスビールの小瓶を一本ずつ。途中、駿河台の明治大学の前で、マフラーをしている若い男を見かけた。マフラーを見るのはこの秋、初めてだ。たしかに昨夜あたり肌寒いような気温だったけれど、それにしてもまだ早いんじゃないか。でも防寒よりファッションか。金木犀は雨のあいだにおおむね散ってしまったようで、もう香らない。 気付かぬうちに過ぎてしまったけれど、今月15日は、酔流亭が社会に出てちょうど30年たった日であった。あ、生まれてからではなく、就職してからですよ。 #
by suiryutei
| 2005-10-19 18:56
| 身辺雑記・自然
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小泉総理が総理になってまだ間もない頃、何かの選挙演説で靖国参拝に対する中国・韓国からの批判にふれて、「私は外国のことについて、あれこれ言いませんよ(だから、向こうも言ってくれるな)」という意味のことをしゃべっているのをTVのニュースで視た憶えがある。 戦争を仕掛けた側と仕掛けられた側、加害者と被害者の違いがわからないのだろうかと呆れる思いがした。近い過去に他国に軍靴で押し入った歴史を持つ国の指導者が、その押し入られた国に反省を促されて「内政干渉だ」と反発するのは相当な非常識だろう。 読売新聞のあのナベツネ(渡辺恒雄氏)は総理の靖国参拝にはハッキリ反対を表明していて、「小泉さんは歴史を知らないんだ。一週間くらい休みをとってアジアの近現代史の本でも読めば、あんなバカなことは止めるよ」とTV番組で語っていた。ナベツネ氏が総理を諌めたのは快とするし、小泉氏が歴史にくらいのも事実だろうけれど、しかし知識の有無だけの問題ではあるまい。 総理には或る種の感覚が欠けているのではないか。それは8月6日に広島に出かけて行っても、被爆者代表とは会わないというようなことや、企業が倒産して従業員が路頭に放り出されたことを「構造改革が進んでいる」と笑みを浮かべて歓迎したことと通じる。祖父の代からの世襲政治家である彼には、政治に翻弄されてきた人々・悲惨な体験を強いられた人々の気持ちをどうしても理解できぬところがあるらしい。 それは「アメリカというフィルターを通じてしか世界を見ることができない」ということにもつながっている。今年6月の国会で、小泉総理は「A級戦犯は戦争犯罪人」という認識を示したが、これはあの戦争を「聖戦」だったとする超タカ派の認識とも靖国神社の立場とも違っている。一貫しているのは彼が「親米」だということである。右翼のように東京裁判史観を自虐だと否定するのではなく、逆に東京裁判を守り抜くという対米配慮だけが滲み出ているのだ。 こう考えると、総理がくり返す「二度と戦争をしないという誓い」とは、アメリカとは戦争をしないということではないだろうか。参拝にこだわる一番の動機は今や「中国・韓国からの批判に屈する形にはなりたくない」というところに移っているようにも見えるが、それは「アメリカとだけ連携して中国の脅威・アジアの台頭に向き合う」ということではないか。 おろかなことである。去年の我が国の貿易総額におけるアメリカの比重は2割を割り込んだのに対して、アジアとの比重は5割に迫っている。アジアとともに歩まなければ日本はもう生きていけぬのだ。もちろん経済のことだけではない。自国が犯した過去の誤りをろくに反省できない国が世界から信頼されるわけがない。国連常任理事国入り問題で、同じ敗戦国だったドイツがヨーロッパの近隣諸国から支持されているのに対して、日本の常任理事国入りを支持するアジアの主要国はゼロなのである。 おもえば、先月出された大阪高裁の「靖国参拝違憲判決」は小泉総理にとってこそ“救いの綱”だったのだ。裁判所の憲法判断に従ったという形をとれば「外国に屈した」という予想される非難も乗り切ることができたろうに。このままでは袋小路に押し込まれていくばかりだ。 #
by suiryutei
| 2005-10-18 17:58
| ニュース・評論
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中央線の快速電車に乗って新宿方面に向かうと、国分寺駅を過ぎるとすぐ右手に東京経済大学のキャンパスが見える。酔流亭は1973年に高校を卒業してから77年暮れに国分寺を去るまで、中央線で都心のほうに通学・通勤していたから、毎日のようにこのキャンパスを目にしていた。緑の濃い良いところにあるなと思いながらも、足を運ぶ機会は無かった。しかしその頃も、このキャンパスの中の或る教室では毎週、中身の濃い授業と討論が行われていたらしい。 15日の土曜日に東経大で行われた同大名誉教授・色川大吉さんの講演の題は『ニセ学生で賑わった頃の東経大』というものであった。 歴史家・色川大吉の名は、三多摩や秩父における困民党の研究や「五日市憲法草案」の発見によって60年代から知られていたから、70年代になると他の大学から学生がもぐりこんできて授業を聴くようになった。子育てが一段落ついた主婦など社会人もやってくる。色川ゼミのメンバー10人のうち東経大の学生は一人だけで、あとの9人はみんな学外者だった年度もあったという。 そのころ酔流亭はどうしていたか。1975年の初秋に、何かの市民講座で色川さんの話を聴いたことが一度だけある。それは通っていた大学に退学届けを出し、郵便局の採用試験も終え、あとは採用通知を待つだけ、という時期であった。友人に誘われて聴きに行ったのである。水俣の話であったように思うが、もうよくは憶えていない。 それ一回こっきりで、そのあと20代・30代の酔流亭は左翼運動にすこしだけ首を突っ込んで挫折したり、職場の組合運動に没頭したり、あるいはそれらの反動から一切の活動に背を向けて世捨て人みたいな気分に浸ったりして過ごした。 40歳になるかならぬかの頃、12日の日記(『訃報』)ですこし触れたような経緯から、所属する労組の本部反対派グループの旗揚げに参加した。組合内反対派というのは、主流派と使用者当局と双方からの圧力にさらされる。多少の覚悟と運動の見通しを持つことが必要だ。改めて世の中のことを勉強し直そうと思った。そのとき手に取った本のうちの一冊が色川大吉著『近代国家の出発』だった。「我が国の近現代史を勉強するなら、まずあの先生からだ」と漠然と考えたのは、20年前に一回聴いただけの講演が好い印象として残っていたからだろう。 ふりかえると、ニセ学生として色川教授の授業を聴く機会を二度うしなったことになる。最初の20歳のときは、就職間際でこちらに気持ちのゆとりが無かった。二度目の40歳の頃というのは、今から10年前で、色川さんが東経大を退職して、もう人前で教えることをやめたときであった。どちらの場合も、もうすこしタイミングが違っていたら、東経大まで授業を聴きに行っていたかもしれない。 今月、色川さんの新著『廃墟に立つ』の紹介めいた文章を酔流亭は活字にした(それはHP『酔流亭日乗』中の「手賀沼の畔より」に収録してある)。15日の講演会のあと、色川さんにそのコピーをお渡しすると、「あ、どうもありがとう」と受け取ってくださった。遠くから敬愛しながらも行き違っていたのが、ここへきて「間に合った」という思いがする。 #
by suiryutei
| 2005-10-17 11:29
| ニュース・評論
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