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新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日は国分寺市にキャンパスがある東京経済大学で色川大吉さんの講演会があった。 時間よりすこしはやく国分寺駅に着いた。ここは酔流亭が生まれてから23歳まで過ごした土地である。生家のあったところに行ってみることにした。駅北口から歩いて7~8分のところだ。 途中の商店街では、金物屋や衣料品店など何軒かは子供だった頃とさして変わらぬたたずまいでまだ営業している。酔流亭の子供時代といえば、かれこれもう40年も前だから、これもたいしたものだ。 そして我が家・・・。更地になっていた。この前、6月に訪ねたときはまだ建物が残っていたのだが、とうとう取り壊されてしまった。真新しい柵がめぐらされている。生家は小さな菓子屋をやっていて、通りに面していたから、近く何かの店ができるのだろう。 考えてみれば立ち退いてから20数年間も残っていたほうが不思議だ。バブルの時代は、隣りの蕎麦屋さんがそこを甘味の店にして営業していた。その蕎麦屋も今は廃業している。建物が壊されなかったのは、バブルのあと今日まで続く長い不況のおかげだろう。買い手がつかなかったのだ。 やや感傷的になって、駅に引き返す。途中、小さな古本屋がある。「いつからあるのだろう・・」と思いながら中を覗くと、姜尚中さんの『在日』を置いている。正価1500円が1000円になっている。このあいだから探していた本だから、すぐ買った。 そのあとの色川さんの講演会のことは、また明日以降の日記で報告します。今日はこれから出勤。なお、昨日、日記を休んでしまったのは、講演会のあと、例によって飲み会となり、帰宅が深夜になったためです。 #
by suiryutei
| 2005-10-16 09:27
| 身辺雑記・自然
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いま女房は関西に旅に出ている。昨夜、大阪であったウィーン・フィルのコンサートを聴くのが目的だが、ついでに京都にも寄っていった。秋に関西まで出掛けて大阪だけで帰ってくるのでは、もったいない。 これは春頃から女房がたのしみにしていたものだ。酔流亭のほうは、今月から来月にかけて職場の同僚との旅行会が重なるし、亡友の法事などもあって、それ以上とても休みをとることができない。今回は留守番をすることにした。 今回わかったが、女房は“晴れ女”である。秋の長雨が終わり、台風はまだ遠い南海上にある。その合間の絶好の秋晴れとぶつかった。今夜帰ってくるのだけれど、明日からは天気はまたグズつきだすそうだ。 いっぽう、酔流亭はどちらかというと“降られ男”だ(この「降られ」は「振られ」ではありませんよ)。だから、女房と旅に出ると、それが一泊二日であれば、初日は晴れても二日目は雨になることが多い。あれはやはり酔流亭のせいだったか。 昨夜は仕事帰りに地元の[金寿司]に寄った。留守のあいだの食費にと置いていってくれた金で握り寿司を食う。酒も少々。 台所の冷蔵庫には、ご飯を茶碗一杯分くらいの量に分けてラップに包んで冷凍したものが入っている。辛子明太子とか“おひたし”も。それを今朝の朝食にした。まことに便利でありがたいけれど、彼女がいなくても女房の手のひらの上に乗っているような感じである。まあ、それでいいのであるが。 #
by suiryutei
| 2005-10-14 09:49
| 身辺雑記・自然
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前国会で通らなかった郵政民営化法案が、11日の衆院本会議で200票差という圧倒的多数で可決された。前回、自民党議員ながら造反して反対票を投じ、先の総選挙でも生き残った17人のうち、今回は11人が賛成に回った。この“転向”を、どう考えるか。 反対を今度も貫けば、周囲からの締め付けと圧力でこの先とても持ち堪えられないという現実的事情が一番だろう。当選したといえ、あんなシンドイ選挙はもうゴメンだ、と。 しかし、もうひとつの理由として、多数決原理というものに対するある種の誤解もあるのではないだろうか。多数決によって物事の是非の判定まで下されてしまった、というような。 野田聖子議員は「自らの政治的主張が完敗した」と語り、堀内光雄議員は「民営化という国民の意思が明確になった」とする。それは、その通りだ。しかし、そのことで自分の考えまで多数意見に合わせることはないのだ。今日は少数派であっても、明日は多数派になるよう闘えばよいのに。 多数決が必要であるのは、何かについて態度決定が迫られているのに意見の相違がある場合には、とりあえずは多数の意見を聞く以外の方法は無いからである。多数意見がただちに正しいということではない。ところが、これは労働組合なんかで顕著なのだが、少数意見はそれが少数意見であるがゆえに間違いであるというような議論がしばしば横行する。 だから、何かの問題で決をとると、どの意見が多数であるかが明らかになった瞬間、全員がその意見の支持者であることを強要される。多数決は、成立するやその途端に全会一致に移行するのである。 国会の場合は野党がいちおう存在するから、いきなり全会一致(国会でそれが実現したら、あな恐ろしや“挙国一致”ということである)ということにはならないだろうけれども、あの野党第一党ではいつそうなるか、まことに心もとない。 酔流亭は小泉路線には全面的に反対する者であるけれど、郵政民営化論が少数意見だったときから、彼が自分は少数派であることを認めた上で、多数派にいつか転化すべく奮闘してきた姿勢それ自体は評価する。自民党反対派も野党も、そこだけは見習ったらいいと思う。 #
by suiryutei
| 2005-10-12 16:11
| ニュース・評論
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酔流亭の職場での先輩にあたる知人が、数日前、急逝された。 たしか9歳ほど年長であったから、まだ60前である。定年まで何年か残して、一昨年、退職していた。 その知人ーSさんは職場の労働組合運動の中心をずっと担ってきた人である。15年前にこの職場が開局した当初から支部三役を務めていた。 転機が訪れたのは10年ほど前だ。組合主流の方針に疑問を抱いて、全国大会代議員選挙に本部議案反対の立場で立候補したのである。当時は「たった一人の反乱」であった。落選はしたけれど、それが契機のひとつになって、彼を中心に反対意見の持ち主が集まるようになった。酔流亭もその一人である。その翌年からは、グループとして統一候補を立てて代議員選挙を闘うようになった。国会と一緒で野党が多数をとることはなかなかむずかしい。毎年、落選続きであったけれど、われらの意気は軒昂であった。 3年前の夏、Sさんと酔流亭の仲がこじれた。その年の代議員選挙における反対派の立候補ビラの内容に対して納得できないものがあった酔流亭は批判意見を明らかにしたのだが、それについて今度はSさんが酔流亭を批判するということがあり、さらに酔流亭がSさんに反論するということがあった。 そのやりとりの内容については、ここで書くのは控えるべきだろう。当事者の一方の言い分になる。ただ、酔流亭が当時おこなった反論はSさんを鬱屈させた。そのあとは酔流亭と顔を合わせるのも不快だという心境でなかったろうか。やがてSさんは退職した。仲間うちで送別会を開くことはSさんが固辞し、そのあと一度、Sさんを囲んでの飲み会があったのだけれど、それは酔流亭は泊り勤務で参加できなかった。結局、われわれは背中を向け合ったまま分かれたことになる。 組合運動にせよ、他の何らかの活動にせよ、やっておれば意見の対立が起きること自体は避けられない。もともと立場が異なる相手だけでなく、一緒に活動してきた間であっても反目が生じることは、ままある。しかし、それが憎悪や人間不信になってしまうことは用心したいものである。 そうならぬには、ひとつは、何かをムキになってやっている自分を醒めた眼で批評することができるもう一人の自分を心の片隅に存在させておくよう努力することだろう。 もうひとつは、あらゆるものは(もちろん人間も)多面的であるということの認識だ。あるひとつの面だけに目を奪われないようにしたい(或る局面では、往々にしてそうなってしまいがちなのであるが)。 自戒をこめて、このことを思う。 ともかく今はSさんの冥福を祈るばかりだ。 #
by suiryutei
| 2005-10-12 10:38
| 身辺雑記・自然
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関東きっての蕎麦の産地・茨城県金砂郷だと、蕎麦の白い花が咲くのは9月中旬、それから実が生って新蕎麦が食べられるようになるのは11月に入ってからだ。花から食べるまで一ヶ月半~二ヶ月かかる。 芭蕉の「蕎麦はまだ花で迎える山路かな」、あるいは誰が詠んだのだったか「やがてみよ棒くらわせん蕎麦の花」の「まだ」と「やがて」は、これだけの時間差を含意している。後者はおだやかならぬ表現だが、蕎麦を打つのに「のし棒」を使うからだろう。 それで、今頃は蕎麦好きにとっては新蕎麦が待ち望まれる時季にあたるわけだけれども、日本列島は細長いから、北海道あたりではもう蕎麦は収穫されて、それが都内の蕎麦屋でも新蕎麦として出回っている。一方で、まだ花を咲かせている蕎麦畑もあるようだ。去年は北海道の産地が台風の直撃を受けて大きな被害を出した。今年、何の災害も起きぬことを願いたい・・・と思っていたところでパキスタンで大地震だ。死者数は数万になるとの報道を目にすると、自国内だけで「実りの秋」を祝っていてはすまぬような気がする。 昨夜、夕食のあと一杯機嫌で斉藤茂吉の歌集『白き山』を久しぶりにめくってみた。こんな歌が目に入る。 蕎麦の花咲きそろひたる畑あれば蕎麦を食はむと思ふさびしさ そのころ茂吉は山形県の大石田(最上川の中流域)に移り住んでいた。大石田は蕎麦の産地である。いかに鰻好きの茂吉といえども、ときには蕎麦も手繰ったろう。そしてこの歌は敗戦翌年のものであるから、戦争で疲弊しきった日本列島の社会に、飢餓死の恐怖は現実のものとしてあったろう。 その当時と比べれば、問題山積ながらも日本は豊かになった。地震の被害の経験を多く蓄積している国として、また農作物の自給も出来ぬくせに食料を世界中から買い集めて余らせている国として、被災地に有効な支援をしたいものである。 #
by suiryutei
| 2005-10-11 09:52
| 酒・蕎麦・食関係
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