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新人事制度 大阪での報告①~③
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郵政民営化の関連法案を巡る国会審議が先週末からスタートしているそうだ。酔流亭は郵便局で働いているのだから、この問題の当事者である。しかし、なさけないことに、何がどうなのか、サッパリわからない。そして、このわからないこと=不透明さが一番の問題じゃないかという気がする。 民営化反対で一番派手に動いているのは特定郵便局長会だろう。自民党の「抵抗勢力」なるもののバックには、これがいる。特定郵便局の局長というのは、代々世襲であり、公務員としての平均年収は900万円くらいあるそうだ。それに、局舎を自分で所有している場合が多いから、その賃貸料というのかしら、これが400万円くらい入るらしい。いい商売である。だから、世襲だけでなく、旧郵政省の幹部が天下りするケースもあるらしい。特定局が増えてきたのは、そのせいもあるんだそうだ。 世襲と天下り! 既得権益の巣窟みたいなところである。そして、局長こそいい商売だろうが、その下で働く職員は封建的人間関係に縛られて息苦しい思いをすることになる。土地のボスが局長をやっているのだから、これはたまらない。 民営化云々の問題とは別に、こんな制度は廃止されなければならないものである。ところが、いま民営化反対を主張する側の多くは、これで特定局長会とスクラムを組んでいるためか、この制度の問題点については、何も言わない。酔流亭が所属している労働組合も、かつてはこの制度に反対していたはずだが、今では全くの応援団になってしまった。 これでは、民営化反対=特定局長制度擁護=単なる既得権益維持という図式が成立してしまうのである。 民営化そのものについての酔流亭の考えを言わせてもらえば、反対である。そもそも企業なんか全て社会化してしまえという考えの男なのだ。もっとも、その「社会化」をどうやるかが問題で、ただ国有化すればいいというものではないらしいのは、社会主義国の失敗で明らかになってしまった。それはこれから知恵をしぼっていかねばならぬ課題である。 「民営化して市場の監視で経営を律する」ことには、じつはとんでもない危険も孕まれていることは、あのJRの脱線事故でも明らかだ。国鉄からJRに変わる前夜、職場ではいじめや不当労働行為が頻発して、かなりの数の職員が自殺に追い込まれた。郵便局の職場でも、現在、似た事態が起きつつある。そのことがまるで問われない民営化論議とは何だろう。 #
by suiryutei
| 2005-05-22 18:02
| ニュース・評論
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昨夜の我が家の食卓はなかなか豪華で、カツオとマグロの刺身、蚕豆、冷えたトマト、ナスとキュウリの一夜漬けなどが並んだ。18日が給料日だったのだけれど、18・19日は泊まり勤務で家で夕食を摂れなかったので、「今夜はパーッと行こうよ」と昼間から女房にねだっていたのである。 このところ蚕豆は値段も安定してきたようである。春さきは南のほうから飛行機で運ばれてきたのが、今頃になれば近場でも収穫されるようになったからだろう。 そしてカツオ。今年のカツオはなかなかいいんじゃないか。どうも値段のことばかり言うようであるが、カツオのありがたいところは、旬になれば、上物でもそうべらぼうな値にはならないことである。マグロなんかは極上を求めようとすれば値段は天井知らずだ。そこそこのところで妥協せざるをえない。 で、初夏の味を愉しみながら、酒は「天狗舞」(石川)と「麒麟山」(新潟)を。前者は濃厚、後者は端麗である。飲み終わってから、ブレンドしたら面白かったかしらなどと邪道なことをチラッと考えた。 なお、いくらカツオが旨かったからといって、女房を質に入れるわけにはいかない。サクで買ってきたものを上手に包丁を引いてくれるのは女房の腕である。 今日と明日はまた泊まり勤務なので、つぎの晩酌は、ちょっと先になる。 #
by suiryutei
| 2005-05-21 10:40
| 酒・蕎麦・食関係
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野上弥生子の随筆集のことを、さきほどの日記に書いたのは、数時間前のことである。 泊まり勤務明けで昼過ぎに帰宅し、すこし昼寝したあと、それを書いたのであった。酔流亭が昼寝している間、女房は夕餉の買い物に出、ついでに図書館に寄って、リサイクル・コーナーから本を何冊か頂いてきたようだ。その中に『日本文学大系 長与善郎・野上弥生子』があった。 昼寝から目を覚まして、さあ日記を書こうとしていた酔流亭はビックリしてしまった。じつは、昼寝のうつらうつらした状態で「今日の日記は野上弥生子のことを書こうかな」と思いついたのである。もちろん女房はそんなこと知らない。 夫婦の間では、こういうことが、時々ある。心の中で、ふと思いついたと同じことを、同じときに相手も考えていたりとか。もっとも、今日の場合は、女房は弥生子より長与善郎に関心があったようだが、それにしても、よりによって弥生子が絡む本を今日持ってくるとは。 のろけるようだが、夫婦って、不思議だね。 なお、『日本文学大系 長与善郎・野上弥生子集』は筑摩書房刊で1971年初版。 #
by suiryutei
| 2005-05-20 20:31
| 身辺雑記・自然
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大型連休さなかの4月30日に、中学以来の友人たちと神楽坂で飲んだのだが、散会した帰り、地下鉄東西線の神楽坂駅に設置された「リサイクル文庫」から一冊拝借してきた。 酔眼のままに、よく選ぶ時間も無いまま抜き取った文庫本は『野上弥生子随筆集』(岩波文庫)である。 さすが神楽坂だな、と、そのとき思った。さすがだというのは、そういう「リサイクル文庫」を設けている駅は珍しいというのがひとつと、もうひとつは著者が野上弥生子であることだ。神楽坂駅周辺は夏目漱石が晩年の9年間を過ごした土地である。夏目坂という地名が残っているし、旧居後は「漱石公園」になっている(この公園に『漱石山房』を復元する計画が進んでいると最近報じられた)。そして野上弥生子は、その漱石のお弟子さんなのである。 野上弥生子が酔流亭はなんとなく好きで、小説もすこしは読んでいる。『真知子』、『迷路』、『秀吉と利休』など。その理由は、どうやら彼女の生家が造り酒屋であるかららしい。それだけで、もう親近感を持っちゃうのである。『迷路』に、酒造りの過程を丁寧に描写した一章があったと記憶する。 大岡昇平は、成城の同じ町内で野上家と近所づきあいがあったが、毎年、正月には大分県臼杵市の弥生子の生家から原酒を贈られ、大岡家の正月の客はそれを楽しみに来たという。1985年に弥生子が100歳の長寿を全うしたとき、大岡は追悼文でそのことを懐かしがっている。 その銘柄、何というのだろう。酔流亭も、ちょっと飲んでみたい。 今日の日記のタイトル、三人の文人の名を並べて、なにごとかと思われたかもしれないが、やはり酒のほうに話を持ってきてしまった。なお、随筆集は味わい深いものであった。これについては別の機会に書くつもりでいる。 #
by suiryutei
| 2005-05-20 18:23
| 文学・書評
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昨日、泊まり勤務に出勤する途中、上野駅構内の本屋で『僕の叔父さん 網野善彦』を買った。集英社新書。 去年亡くなった歴史家・網野善彦と、宗教学者・中沢新一とは、題名のとおり、叔父・甥の関係であった。故人の思い出を語るだけでなく、網野史学についてのよき手引となっているらしいことは、目次をざっと眺めただけでも見てとることができるように思う。5年前に出た網野の代表作『日本とは何か』(講談社)を、また読み返してみようとしていた矢先である。 このあいだ銀座の[いまむら]に一人でふらりと寄ったとき、奥のカウンターにいた老紳士二人連れの一方が「わしは山梨の小学校から大学まで網野善彦さんのずっと1年後輩だった。大学の学部だけは違ったが・・」と話しているを耳にした。 網野さんは東大の文学部出身だから、その方は法科か経済を出たのだろう。年齢は70代後半になるはずだが、かくしゃくとしていて、どこかの大企業の重役を勤めてきた方とお見受けした。「民衆史」の網野善彦の名が、そういう人の口から出たことがそのときは意外に思ったものだが、「・・・銀行家の末子に生まれ、お兄さんたちはみな金融や実業の世界で早くから活躍するようになっていたのに、網野さんだけが貧乏な学者の人生を選んだのである」と、本の始めのほうに書いてある。 そして、網野善彦のそのような人生にとって、中沢家の家風との接触は大きな意味を持つものであったらしい。そのあたりは読み進むうちにおいおいわかっていきそうである。また後日、読後感をこの日記に書くことになるかもしれない。 今夜も泊まり勤務。4時間ほど睡眠をとったあと、これを書いている。 #
by suiryutei
| 2005-05-19 17:32
| 文学・書評
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