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新人事制度 大阪での報告①~③
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■2003/08/19 (火) 18:30:18 夏のゆふぐれ 泊まり勤務明けで帰宅し、午後すこし昼寝して5時ころ目を覚ましたら西のほうから青空がひろがりかけている。14日からずっと雨と曇りで、今朝も雨が降ったから青い空を見るのは随分ひさしぶりだ。今頃の季節のなかなか暮れていかない夕方が酔流亭は好きである。 かんがえて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ 若山牧水の短歌。酒飲みにとって牧水がありがたいのは、こういう酒についての秀歌をたくさん残してくれたことだ。この歌の中の夏という字を春秋冬に置き換えて酔流亭は一年中口の中でつぶやいている。しかし秋から冬にかけては日が落ちるのが早いから、この歌のゆったりした気分にそぐわない。やはり今の時季である。 もうすこし季節がすすむと、こんな歌がある。 秋かぜや大和の国の稲の穂の酒のあじわひ日にまさり来れ この不順な天候で凶作のおそれがあるようだから、今年の稲の穂はどうだろうか。ちょっと心配。 やはり酒で寿命を縮めて、牧水は数え年44才の若さで世を去るが、同じく酒好きだった俳人の尾崎放哉などは晩年は病気で体が酒を受けつけなくなって気の毒だったのに対して、牧水は臨終直前まで飲み続けていた。容態が急変したときなど酒を吸い飲みで含ませると落ち着いたりしたようである。最期を看取った医師・ドクトル稲玉の手記にこんな記述があるのは亡くなった日の朝のことだ。 「・・朝食トシテ日本酒100cc、卵黄1ヶ、玄米重湯約100ccヲ進ズ」。 昭和3年に亡くなった若山牧水の命日は9月17日。この日が近づいたら、牧水の臨終と酒について書くつもりでいる。たとえその死のことでさえ、牧水について文章を書くことは酔流亭にとって楽しみなのである。 #
by suiryutei
| 2003-08-19 14:47
| 酒・蕎麦・食関係
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■2003/08/18 (月) 11:49:01 金子勝とグラムシ 図書館から借りていた『日本はどこへ行くのか』(講談社「日本の歴史」25)と『市場』(金子勝・岩波書店)を読み終える。 『日本はどこへ行くのか』は「日本の歴史」シリーズの最終卷であり、最初に出された網野善彦の『日本とは何か』と対になるものである。7名の執筆者の共著になっているが、テッサ・モーリス・スズキが担当した「マイノリティと国民国家の未来」(第3章)が一番よく理解できた。ただ、全体としてはこの全25巻の集大成としてはちょっと弱いかなという気がしないでもない。最初の網野善彦の仕事が見事だっただけにそう思う。 金子は学生時代はグラムシばかり読んでいたと何かの雑誌に書いてあった。グラムシは20世紀前半に活躍したイタリアの理論家・革命家である。酔流亭は20代のころにグラムシの入門書を読んだだけだし、その内容だってもう忘れているから当てずっぽうで言うのだけれど、たしかにこの両者、似たところがあるかもしれない。 ロシア革命のような社会の頭部を強襲して権力を奪取するという方向ではなく、グラムシは下からの抵抗闘争で権力を包囲し孤立させる道を志向した。金子が下からのセーフティ・ネットの張替えを主張するのはこのグラムシ理論の読み替えという面もあるのではないか。 もちろん違いも大きい。なにより、グラムシが思考を深めていた時代はロシア革命の余韻さめやらず、すくなくともヨーロッパでは社会主義革命が現実の日程に上っていると考えられていた。いっぽう金子が論壇に躍り出たのはベルリンの壁が崩壊し社会主義の魅力まったく地に堕ちて以降のことである。グラムシがかなり異質ながらもマルクス主義者であり続けたのに対し、金子はマルクス主義を超える道を模索しつつ自らの思考を形成していこうとしているようである。 酔流亭にはまだ消化しきれないが、この意欲あふれる経済学者のこれからの研究に注目したい。 #
by suiryutei
| 2003-08-18 14:49
| 文学・書評
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■2003/08/17 (日) 20:43:25 雨、雨、雨・・・ 4日間も雨が降り続いている。ちょっと燗酒が欲しくなるような肌寒さだな・・と思いながらも「貴仙壽吉兆」純米吟醸の冷やしたものを飲んでいる。奈良の酒。やや甘口である。今朝の味噌汁に使った残りの豆腐を女房が温めて湯豆腐にしてくれた。真夏なのにこういう肴が旨い、そういう晩だ。農家の人たちは気が気でないだろう。凶作にならなければよいのだが・・・。 昨日、HPを更新した。「最近行った店・・」のコーナーに早稲田の五郎八を追加したのである。HPを開設したとき(それからまだ一月半もたっていないが)にはこのコーナーは無かったのだけれど、いまや我がHPでもっとも活気あるコーナーになった観がある。まだあまりメディアに露出してない店、開店したばかりの店も紹介したので、なかなか独自色を出せたのではないかと自負しているんですが。このペースでこれからも更新していきたい。 リンク集の花まきさんの日記のアクセスが急増している。某蕎麦サイトで誰かさんがカキコしてくれたせいかな? #
by suiryutei
| 2003-08-17 14:51
| 身辺雑記・自然
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■2003/08/16 (土) 10:06:30 吉野秀雄のことなど アメリカは大停電、日本は大雨、そしてコンピューター上ではウイルスが暴れ出すらしい。大変なお盆となった。 地元の図書館のリサイクル文庫から女房が『新潮日本文学アルバム・会津八一』と『吉野秀雄歌解』を選んできた。先日「五郎八」で八一という会津八一ゆかりの酒を飲んだとき「この人は吉野秀雄のお師匠さんだ」と私が薀蓄をたれたのを覚えていたらしい。それにしても、いいタイミングでリサイクルに出ていたものだ。 師匠といっても学校関係でのことではない。会津の歌に魅入られた吉野が私淑したのである。また弟子というわけではないけれど吉野を慕っていた歌人に今人気の山崎方代がいる。吉野に方代を詠んだこんな歌がある。 来ればする失恋ばなし種尽きずわが方代はかなしかりけり 吉野は戦後、鎌倉アカデミアで教えていたことがある。ここは戦争のため学業を中断せざるをえなかった若者たちのため鎌倉在住の学者が開いたもので、吉野の他にも服部之総、林達夫といったそうそうたる顔ぶれが講師をつとめた。たとえば、世界的にみてもはやくからスターリン批判をおこなっていた林と日本におけるマルクス主義史学の礎を築いた服部とは、どんな会話をしていたろう。 終戦記念日の翌日だからこんな感慨を持つのかしれないけど、半生記以上前の日本は貧しかったろうが知的には今よりずっと豊かでなかったかと思う。 #
by suiryutei
| 2003-08-16 14:52
| 文学・書評
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■2003/08/15 (金) 14:13:30 神田の藪 10日ほども前だったか、『蕎麦三昧』のBBSで「地方に住んでいて都心になかなか出られないから、藪ご三家(神田・並木・池の端)について、読んで行ったような気になるカキコをしてくれないか」という難しい注文が載った。 酔流亭は非才を省みず並木についてすこし書き込み、「あとの二店はどなたか・・」とふったら、しおんさんがすかさず好フォローをしてくれて池の端を担当してくれた。ところが、そのあと神田については誰も書き込みしないまま忘れられて、最近では上野の藪についてのトークが盛り上がっている。 神田藪、人気無いんだな。たしかに、クロレラだかで不自然に着色されたあの蕎麦を見ては酔流亭だって食欲が萎えてしまう。 「秋の蚊に神田の藪でさされつつ」 これは先月、朝日新聞に紹介された句で多田道太郎さんが今年亡くなった藤田省三さんを偲んで詠んだもの。多田さんは京都大学の桑原武夫一門だから関西の人だ。いっぽう藤田さんは丸山真男門下の思想史家で、こちらも、たとえば「ヨーロッパにおける民主主義の成熟に果たしたカフェの役割」なんてテーマならともかく、最近の東京の蕎麦屋事情にはうとかったのではないか。そこで、東京の名所ではあるし、まあ神田藪で一献ということになったのだろう。碩学二人が蕎麦屋で酒を酌み交わしながら談論風発している図を想像すると、旨い不味いを超えて、これはこれでよいものだなと思う。 今日は戦争がおわって58回目の8・15だ。桑原武夫、丸山真男、藤田省三・・・。戦後精神(民主主義)を体現した人たちはあらかた逝ってしまった。さびしい夏である。 #
by suiryutei
| 2003-08-15 14:53
| 酒・蕎麦・食関係
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