新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日はこの催しに参加した。 窪田聡さん(1935-)は『かあさんの歌』の作詞作曲者として知られているが、この歌だけではない。たとえば辺野古ゲート前の座り込みでよく唄われている『沖縄、今こそ立ち上がろう』は『俺たちの道は』という歌の替え歌である。沖縄反基地運動のリーダーの一人、山城博治さんが沖縄の状況にあわせて手を入れた。そして、さらにさかのぼると、その『俺たちの道は』は1968年のパリ五月革命で歌われていた『美しき5月のパリ』(作詞作曲不詳)に窪田さんが日本語の歌詞をつけたもの。酔流亭は昨日までそのことを知らなかった。こんなふうに、あちこちの闘いの場で歌われている歌には窪田さんが作ったもの、あるいは何らかの形でその手を経由しているものがじつに多いそうだ。 窪田さんは白い眉毛が豊かで仙人のような風貌。 ところで『かあさんの歌』の歌い出しは かあさんは夜なべをして 手袋編んでくれた だが、 <かあさんが夜なべをして>と<は>ではなく<が>で歌われる場合が多いという。 『かあさんの歌』が作られたのは1956年。当時、歌詞はガリ版で書かれ印刷されて広がって行った。そのガリ切りのとき書き間違えられたのではないかと窪田さんは推測された。そうだとすると、NHK〔みんなの歌〕などで有名歌手たちに唄われる前にうたごえ運動の中で広まっていたことがそれからも覗われる。 わが家にある倍賞千恵子のLPレコード(1973年発売、20曲収録)のジャケットには正しく「かあさんは夜なべをして」と書かれている。 それから かあさんのあかぎれ痛い 生味噌をすりこむ という歌詞がある。味噌というのはしょっぱいものだから、あかぎれにそれをすりこんだらしみるのではないかと、酔流亭はずっと思っていた。ところが、味噌を作る過程で塩を加える前の状態を生味噌と呼ぶのだそうだ。塩っ気がまだ無いのならあかぎれにすりこんでもしみることはないだろう。 ※この催しを主催した労働者文学会、共催の日本音楽協議会のそれぞれのHPを貼り付けておきます。 #
by suiryutei
| 2025-04-14 09:10
| 音楽
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昨日、東京中央郵便局で働いていた頃の労組(全逓東京中郵支部)の分会仲間と呑み会をやった。 会場は上野の〔酒亭じゅらく〕。アメ横を入ってすぐのガード下だ。上野駅周辺はたいへんな人出だった。今日はこれから一日雨が降るということだから、上野の山の桜も昨日が見納めだろう。 1990年に江東区に新東京郵便局が開局したことにより、東京駅丸の内南口の真ん前にあった東京中央郵便局の機能の多くはそちらに移管された。私たちの分会もそのときをもって解散となり、以来はや35年が経つ。 35年の間には亡くなった人が何人もいる。今回にしても案内の手紙にご遺族から「去年死亡しました」と返信してくれたハガキが2枚届いた。1人は酔流亭より若くて、まだ60代なかばだった。 そうして昨日集まったのは12人である。話が途切れることがない。 午後1時半から始めて、4時前には終わった。Aさんともうちょっと飲もうという雰囲気に。分会が解散した1990年、彼はまだ20代で青年部の活動の先頭に立っていた。 神田に流れて〔まつや〕に寄る。 〔まつや〕のすぐ近くにある神田郵便局では1978~9年に全逓が取り組んだ反マル生越年闘争によって懲戒免職になった人がいて、全逓の神田支部はその処分の撤回を求める運動を続けていた。私たちも丸の内の東京中郵から支援によく行ったものだ。そのころAさんと一緒に何度も〔まつや〕の暖簾をくぐった。 彼にとって35年ぶりだという。 〔酒亭じゅらく〕ではコースの最後にかけ蕎麦のお椀が出たから、〔まつや〕では蕎麦掻きで〆た。 東京中郵での私たちの分会の闘いについては、当時分会書記長として運動の中心にいた山田勇さんによる貴重な報告がある。下に貼り付けておきます。山田さんも昨日参加されていた。 #
by suiryutei
| 2025-04-13 08:48
| 身辺雑記・自然
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岐阜県の飛騨市を中心に活動しているNPO〔思い出の絵本展〕から最新の便り(第20号)が届いた。 〔思い出の絵本展〕の活動については、このHPに。 酔流亭はこのNPOの賛助会員である。 去年秋に開催された〔絵本展2024〕のテーマは<えほんの湯>。絵本で温まってもらおう、という趣旨であったようだ。 なにしろ飛騨は遠いから、展の期間中に行くことはなかなかできない。事務局は飛騨古川の旅館〔蕪水亭〕に置かれているので、ここに泊まって〔思い出の絵本展〕の理事長でもある宿の女将さんに話を聴くのをいつも楽しみにしている。 #
by suiryutei
| 2025-04-12 08:55
| 身辺雑記・自然
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日付が7日から8日に替わっていた夜中だから、3日前ということになる。目が覚めてしまった。 なかなか眠りに戻れないので、起き出して時刻を見ると午前3時すこし前である。音量を小さくしてラジオを点ける。NHK〔ラジオ深夜便〕がかかっている。男性アナウンサーが言うことに、明日の午前2時台はバーブラ・ストライサンドの特集だと。 そういえば4年前もこんなことがあったなと思い出した。 2021年6月、コロナワクチンの接種を初めて受けた。多くの人が体験したことだが、注射された箇所が夜中に痛み出すのである。酔流亭もそうであった。痛みで目が覚めたのか、あるいは目が覚めてから腕が痛いのに気づいたのか、よくわからない感じだったが。 午前2時過ぎで、ラジオを点けると倍賞千恵子の歌声が流れてきた。〔ラジオ深夜便〕の午前2時台は1人の歌手をよく特集するようである。 4年前のそのときは眠りに戻れないままラジオを聴きながら、そういえば倍賞千恵子とバーブラ・ストライサンドとはほとんど同世代だな、などと思ったものだ。前者は1941年、後者は42年の生まれ。 そのバーブラの特集を今度はやる。4年前と違って、今は〔聴き逃し配信〕というのがある。番組のHPに行ってそこをクリックすれば、放送後一週間以内ならいつでも聴ける。夜中に起きなくてもいいのである。 で、昨日それを聴いた。このサービスを初めて利用した。9日の午前2時台にほぼ1時間、NHKラジオ(AMでもFMでも)で放送されたもの。 彼女で酔流亭が印象に残るのは『追憶』という映画だ。主演(ロバート・レッドフオードと共演)するとともに主題歌も歌っている。ラジオでも最初にかかった。 この映画のことは4年前の秋〔いてんぜ通信〕に書いたことがある。 上に貼り付けた文章はかなり長いので『追憶』について書いたところだけ下に抜き書きする。 1973年の作品だが、描かれる時代は1930年代後半から50年代にかけてだ。バーブラ・ストライサンド演じるヒロインのケイティはまず、アメリカの大学で共産青年同盟の活発な活動家として登場する。キャンパスで開催された学生集会ではスペイン人民戦線への支援を訴えた。初め彼女に「モスクワの操り人形!」などとヤジを飛ばしていた学生もやがて聴き入って拍手を送るのに、人民戦線の時代の雰囲気を感じる。最後は妨害が入ってアジテーションをかなりぶちこわされはしたけれど。 そうして左翼の志を曲げない彼女が卒業後に働いているのが戦時下の政府機関である。なにかラジオの仕事をやっている。仕事を終えて立ち寄った酒場でロバート・レッドフォード演じるハベルと久しぶりに再会した。学生のときからの知り合いだ。ハベルはノンポリで、学生の頃もケイティがストライキの準備でキャンパスを駆けずり回っているのを横目に、ガールフレンドたちにいつも囲まれている。なにしろ半世紀前のレッドフォードが演じたのだからハベルは稀代のハンサムである。モテないわけがない。 再会を機に、ケイティのほうが積極的に、二人はいい仲になっていく。とはいえ片や闘士、もう一方はノンポリだから、当然軋み合うのだが、小説家を志すハベルの文才をケイティは見抜くし、ハベルも自分は左翼運動に関わり合わないけれども運動に没頭するケイティを包み込む包容力はある。 ケイティの部屋にレーニンやスターリンの肖像だけでなく、当時のアメリカ大統領ルーズベルトの写真も貼ってあるのが面白い。彼女の職場が政府機関であるのとともに、これがニュー・ディールの一面だったのだろう。もっとも、当時のアメリカ共産党がニュー・ディールの進歩性を過大評価してルーズベルトを仲間のように考えたのは階級的視点を曇らせた誤りだと、後に国際共産主義運動の内部では批判されもしたけれど。 ルーズベルト亡きあと(45年4月没)の戦後、政府と左翼の蜜月期は去って、アメリカことにハリウッドには赤狩りが吹き荒れる。映画の脚本を書くようになっていたハベルはこれに妥協して不本意な脚本を仕上げる。ケイティは節を曲げない。それまで軋みあいながらも相手を理解してきた二人だが、ここで人生は分かれてしまう。 それからしばらく経って、街角で二人は偶然出会う。ハベルは再婚した相手と一緒で、ケイティのほうは街頭で原水爆反対の署名運動をやっているところである。おそらくビキニ事件の何年か後だろう。同事件とは1954年、焼津のマグロ漁船<第五福竜丸>が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で操業中、アメリカの水爆実験で放射能を浴びた。半年後に無線長の久保山愛吉さんが亡くなる。ケイティが立つ背に「HIROSIMA」「NAGASAKI」と書かれたポスターや立て看板が映し出されている。 好き合っていながら一緒の人生を歩み続けることはできなかった二人である。しかし、映画では二人それぞれにリスペクトが払われている。視終って余韻が残る所以かと思う。 ![]() 満天星(ドウダンツツジ)です。昨日、神田明神の裏で撮影。境内では桜がさかんに散っていた。 #
by suiryutei
| 2025-04-11 09:18
| 音楽
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こんにちの世界を見わたして、酔流亭が比較的好意を持つ政治家はブラジルのルラ大統領である。昨日の夕刊にも、こんな記事が載った。 ルラさんに酔流亭が好意を持った最初は2年前、広島で開かれたG7サミットに招待された20か国首脳の一人として、しかしG7の頭目たちとは一味も二味も違った言動をしたとき。そのことを当時のブログに書いた。 上に貼り付けた過去記事の中に貼ったネット記事が今はリンク未対応で読めなくなっている。2年前はリンクが効いていたと記憶するが。ウクライナの問題についてのブラジル政府の立場は、上の過去記事中にリンクした南アフリカ政府のそれと通じるものだ。 ルラ大統領(1945-)の経歴をネットでいま見てみると、軍事独裁政権下だった1980年、鉄鋼労働組合のリーダーとしてストライキを指導して投獄されたりもしている。いよいよ惹かれるなあ。 #
by suiryutei
| 2025-04-10 08:14
| ニュース・評論
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