新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日の更新記事に続き、HOWS『大西巨人の批評を読む』ニュースから、去年10月3日に行なわれた読書会の感想の紹介です。 添田直人さんが書いてくださった文章から、酔流亭の報告に関わる部分などを抜粋します。 添田さんはこの講座で以前『神聖喜劇』を採り上げたとき報告者の一人を務めています。また文中にあるように「綴り方教室」で知られる豊田正子の研究者です。 土田宏樹さんの報告は定型的な文学評論とは一味ちがいました。一労働者として文学を論じているように感じました。報告後の会場の質問,意見はそういう土田さんに聞いてみたいという感じを受けました。 「政治的な路線対立によって文学の評価を変えたという話ではなくって、路線の違いが文学の場においても争われたということだろう。…問題は大西にとって『真空地帯』の何が否定されなければならなかったかだ。」(3ページ) このようにはなかなか書くことができないです。なぜでしょうか? A 「政治的な路線対立によって文学の評価を変えたという話ではなく」 ということは,指摘できると思うし,よく見ることができます。しかし,こうなるのです。 B 「路線の違いが文学の場においても争われたということだろう」 これは,Aであれば,Bの推論が成立しないのです。なぜなら,政治的な対立によって文学の評価を変えていないというのが,Aであり,文学の評価を変えていないのなら,Bのように,文学の場において政治的対立が争われることがないからです。しかし,報告の趣旨は,<文学の場において政治的対立が争われる>ことを肯定したうえで, 「大西にとって『真空地帯』の何が否定されなければならなかったか」 と問題を立てたのです。この論点を,短い言葉でなかなか言えません。シモーヌ・ヴェイユが労働現場で思索することが苦痛になるのは,労働の時間と思索の時間のスピードが合わなくなるからと言ったことを思い出します。論点と労働の内容を短い言葉で示せなければ,思索はおろか働けなくなります。この短い文章には,労働者が闘いにおいてその思索の癖のようなものを身につけてきた息遣いを感じます。 1950年代における「人民文学」と「新日本文学」の対立があり,宮本百合子の評価をめぐるやりとりが悪名高いようです。それがやがて,分裂した両派の政治対立が解消されると同じころに,過去も現在も,Aの<政治的な対立によって,文学の評価を変えていない>というようにされて対立が解消されたのではないでしょうか。しかし,それ以前の否定すべきものとされた対立過程の中身を探っていくと,Bの<文学の場において政治的対立が争われる>内容が,実は誠に生き生きとした論争であって,素人が,団交や闘争の直後にへたくそなガリ版刷りの作品を書いて文学運動に加わって,政治が全人格的な生活を左右する内容を帯びて,詩や生活記録に表現されています。 1950年代はおろか,後の反戦青年委員会,全共闘運動が伝説となって以降の政治や社会運動しか知らぬ私は,自分や他人の個別の怖いことや悲しい感情を大切にせず,弱さとして抑圧してきました。トータルな政治的な組織とは無関係な自己告白,詩的な描写を用いることは稀でした。1950年代はそうではなく,身近な家族の個人的な運命と全世界の政治が交差し,内面的感情が表出しています。「人民文学」「新日本文学」はそれをささえる〈運動体〉で,「人民文学」の発行責任者が誇るように,松川事件で獄中に同誌を差し入れ,詩の投稿を呼びかけ,被告人の詩を読んだ獄外の〈読み手〉は,呼応して詩の〈書き手〉となって投稿します。それらを読み,面会で無実の叫びを聞いた広津和郎ら文学者のアピールになり,無罪獲得の力になっています。 私は豊田正子の1950年代の作品を検証しています。「人民文学」に拠る彼女は,みごとに党派の衣を纏い,宮本百合子を批判して顰蹙を買っています。入党申込書を書くことが結末となる小説を書き,全面講和の闘争をめぐるやり取りで「新日本文学」に拠る中野重治からしたたか叩かれて,誠に評判が悪いのです。だからダメなのでしょうか?そうではないと思うのです。「綴方教室の豊田正子」ではなく,文学運動の荒波にもまれて,仲間とともに作品を書いた意義があったはずです。そういう場所を確保することがぼくらの課題です。 そういういみで,AとBは,労働者自身の手で生活と政治を結び付け,文学の世界で,生きた自分の言葉で論争を闘わせるための問いを大事にする意義が,いまでもあります。「俗情との結託」,「時流に乗ること」を跳ね返して,論争を呼び掛けるために『真空地帯』の批判を行ったと思います。 #
by suiryutei
| 2021-02-02 09:12
| 文学・書評
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2月は初日の昨日が第一月曜日。第一月曜恒例の辺野古基地建設反対防衛省前抗議行動に参加した。1月は4日が第一月曜で今年最初の行動が行なわれたが、酔流亭は三が日に飲み過ぎたこともあってサボッてしまった。 だから酔流亭にとっては昨日が今年の抗議行動初めになった。 いつもどおり100人近い人が参加していた。防衛省への要請文手渡しは昨日は3団体からあって、そのうちの一つは<オール郵政沖縄連帯行動・郵政シルバーユニオン>である。シルバーユニオン事務局長のTさんが辺野古新基地建設の即時断念や宮古島、石垣島、馬毛島への自衛隊配備中止など5項目の「申し入れ」を読み上げ、応対に出た防衛省職員に手渡した。 なお、郵政シルバーユニオンのラインに酔流亭も招待していただき、加わった。 下の写真は<へのこじつ>のOさんのフェイスブックから拝借。 さて更新記事では基本的に話題は一つと決めてやってきたが、このところ報告したいことがたくさんある。今日はもうひとつ書きます。 先週の土曜日、[大西巨人の批評を読む]読書会に参加した。HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)の連続企画で、この日は大西が1955年に書いた『ハンセン氏病問題』がテキスト。 すると、この連続読書会のニュースが完成していた。内容は去年10月3日に開催された前回読書会の報告である。 このときの読書会では二人の報告者のうち一人を酔流亭が任された。ニュースの記事(講座のコーディネーターを務める山口直孝・二松学舎大学教授の執筆)から、酔流亭の報告に触れた箇所だけ抜いてみます。 ・・48年ぶりに『真空地帯』を読み返して感動したという土田さんは、軍隊の非人間性を描いていること、木谷の境遇や心情に感情移入できることを作品の魅力として挙げました。その上で土田さんは、軍隊のとらえ方について、巨人の見方を支持すると述べました。『暗い絵』の主人公深見進介の後の姿とも言える曽田一等兵は、反戦的な思想を周囲に洩らすことはなく、抵抗を初めから放棄しています。木谷の言動に過剰な期待を寄せる曽田が<知識人と革命家の責任>に欠ける存在であることは確かであり、巨人の野間への批判は、共に共産党員であり、互いが革命的前衛であるがゆえの発言である、と土田さんはとらえました。また、木谷を<ルンペンプロレレタリア的>と巨人が評していることに触れ、労働者の反動的な層に対してマルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で激しく罵ったのと同様の思いから言葉が発せられているのではないか、という見方を示しつつ、土田さんは、<淫売買い>や<ルンペンプロレタリア>という語を用いていることに引っかかることを付け加えました。・・ ニュースはこの他に酔流亭自身の<補足>と、当日参加していた添田直人さんと牧子嘉丸さんの感想を掲載している。このブログでも明日以降、順に紹介していきます。 ※当日の報告を文章化したものは【A・Z通信】No.40(去年12月1日発行)に掲載していただきました。 #
by suiryutei
| 2021-02-01 08:45
| 文学・書評
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今日から2月。気持ちも新たに更新作業に励みます。 まず『伝送便』2月号に寄稿した文章の転写から。 先月9日にHOWS講座で聴いた指宿昭一弁護士の講演を参考に書いたものです。2月号校正の段階で1ページ分だけ空きがあるのがわかって、急遽おしこんだ文章ですが、講演のテープ起こしをやっていたおかげで助かった。 それはともかく、技能実習生や留学生に対する酷いピンハネはマスメディアでもいくらかは報道されるけれども、出入国管理法の改悪案が今国会にも出されるかもしれないということはあまり知られていないのではなかろうか。 それを許すな!という声を大きくしていかなくては。 移住労働者問題について指宿昭一弁護士の話を聴く機会があった。 年末始に労働弁護団有志といくつかの労働組合によって都内の大久保公園で取り組まれた<年越しコロナ被害相談村>での活動から弁護士は話し始めた。職を失い、困窮して相談に訪れた約三五〇人のうち、外国人は三〇人ほどという。
年越しコロナ被害相談村で
衝撃的だったのはビルマの少数民族カチン族の男性。反政府闘争に関わり、故国に送還されれば迫害されて生命の危険がある。明らかに難民条約によって保護される難民である。ところが日本政府は難民と認めない。欧米では二〇~四〇%はある難民の認定率が日本はわずか〇・四%である。男性は寒空の下、公園で小さなシートを被っただけで寝泊まりしていた。よく死ななかった。 家庭に派遣されて家事労働をする仕事に就いていたフィリピン人の若い女性は昨秋突然解雇された。雇用調整助成金を使えば休業手当を払って雇用を維持できるのに、雇用主はそれもしない。女性は料金の安いビジネスホテルを転々しながら職探しをしてきたが、一月二日に<コロナ相談村>にたどり着いたとき所持金は二千円。ホテルは四日の朝には出なければならないところだった。 これらのケースは<コロナ相談村>に参加した労組が引き取って対応している。もし相談村に来ていなかったら、どうなっていたか。 約一六五万人の外国人労働者のうち四一万人を占める技能実習生は、送り出す国と受け入れる日本、双方のブローカーによって酷い中間搾取をされている。ベトナムの送り出し機関が実習生一人からむしり取る費用一〇〇万円というのは同国では年収の四年分だ。日本の管理団体は実習生一人あたり毎月三万~五万円の管理費を受け入れの企業や農家から徴収する。寮費光熱費その他が不当に控除され、実習生の残業時給三〇〇円とか月の手取りが三万~四万円というケースがある。
入管法改悪の恐るべき中身
喫緊の問題は出入国管理法の改悪だ。この通常国会にも改悪案が提出されるだろう。その内容は ① 送還拒否罪・仮放免逃亡罪の創設 ② 難民申請に関する送還停止効の廃止 ③ 司法審査のない無期限収容の維持 刑事手続きだったら裁判官の令状が無ければ逮捕できないが、入管は自分の判断で収容できる。恐るべきことに無期限に収容できる。司法審査を設けるべきだ・上限を決めるべきだという意見があったのに受け付けず、逆に出してきたのは送還忌避罪の創設だ。送還を拒否したら犯罪にして刑務所に入れてしまえという驚くべきことを打ち出した。しかし難民で帰国したら殺されてしまうような人は当然帰らない。刑務所から出たら、また入管、入管の収容所を出たらまた刑務所の無限のくり返しになる。ただ外国人を犯罪者にしたいだけだ。 では、どういう効果があるのか。支援者や弁護士を共犯として処罰することが可能になる。強制送還をかわすために訴訟をたくさん起こしている弁護士がいる。人権を守るためにそうしているのだが、入管には弁護士の権限の「濫用」に映る。そういう人たちを逮捕、弁護士資格を奪うことが狙われている。 外国人を敵と見なして徹底的に管理しようという入管法改悪の思想と、外国人労働者を人間扱いせず使い捨てることはつながっている。入管法改悪阻止を労働運動の重要な課題としよう。 #
by suiryutei
| 2021-01-31 17:00
| ニュース・評論
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昨日の昼過ぎ、入谷から根岸のあたりを歩いて、JR鶯谷の駅も近くになってきたところで、ビルの谷間に石蕗(つわぶき)の花が咲いているのを見かけた。 驚きである。 石蕗というのは秋が深まってきた頃の花とばかり思い込んできた。我が家の庭にも咲くが、10月下旬から11月初めである。11月もなかばになれば終わってしまう。 それが、冬の寒さの底にある今もまだ咲いているなんて! 我が家のあたりと都心では冷え込みはたしかに違う。都心の最低気温が0℃の朝なら我孫子は-5℃くらいまで下がる。しかし、今年はなかなか寒い冬で、都心でも氷点下まで下がる朝は何日もある。そんな中をよく凌いできたなあ。ちょっと感動。 このまま冬を越すのだろうか。 根岸といえば正岡子規が若い晩年に棲んだ土地だ。子規は病床から出られぬ身で、庭の草花を眺めていたのだろう。石蕗もあったにちがいない。 話題を変えます。 昨日はこのブログへの訪問者数が今年になって一番多かった。それもダントツに多い。 何がヒットしたか首をかしげたのだが、今朝アクセス解析を見てみると『寅さんと資本論』という去年7月25日更新記事にアクセスが殺到している。 白井聡『武器としての「資本論」』が、資本論に出てくる<包摂>という概念を説明するのに映画『男はつらいよ』の一場面を引いている。更新記事はそのことに論及した。 じつは今、【A・Z通信】を引き継いで創刊される【いてんぜ通信】に寄稿しようと思って、白井の『武器としての「資本論」』と齋藤幸平『人新世の「資本論」』について拙い文章をしたためつつあるところだ。 白井の本についてはかなり批判的になりそうなのだが、あの寅さんを論じたくだりは白井本の秀逸なところであると思う。 【いてんぜ通信】は3月発刊とのこと。原稿のほうは一月いっぱいまでに書いて(すなわち今日である)送りたかったけれど、数日遅れそうだ。 ご容赦を。 #
by suiryutei
| 2021-01-31 08:34
| 身辺雑記・自然
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『伝送便』誌2月号の発送作業、編集会議、それから軽く飲んで、地元駅に戻ってきたのが午後9時である。 夜空にまん丸の月が浮いている。昨夜は今年最初の満月であった。 前回の満月は年を越すちょっと前だ。2021年になって、もう一月近くが経ったわけだ。なお一月の満月は<ウルフムーン>と呼ばれるとか。 帰宅して、また少し飲み、それから風呂に入る。出てからTVを点けると『ドキュメント72時間』という番組をやっている(NHK総合、午後10時45分~11時15分)。 酔流亭はこの番組わりと好きです。その時間に家に居ればたいてい視る。昨夜は北九州の旦過市場を採り上げていた。同じ場所に3日間(72時間)カメラを置いて、そこの人間模様を映し出すのである。 旦過市場には30年ほど前に一人旅で立ち寄ったことがある。近くのJR小倉駅の前にある居酒屋で飲んでいて、玄界灘が前に広がっているのだからこの土地は魚が美味い、古くからの市場があるよ、と聞いて行ってみた。 もっとも旅の途中だから魚を買ったわけではない。ぶらぶら歩いただけ。魚は居酒屋で食べた。立ち飲みの安い店で、それでいて鯛の刺身が素晴らしく美味かった。旦過市場の実力であり、玄界灘の底力だろう。 それから、旦過市場の中ではなく小倉駅の近くだったが、立ち食いのうどん屋がよかった。揚げ玉が容器に盛って置かれていて、客はスプーンで自由に掬えるのだ。かけうどんを注文して、たぬきうどんに出来る。九州の人は太っ腹だと思った。それにしても北九州では立ってばかり飲食していた。 あの旅はたしか12月の初めだった。関東に戻る日の朝、雪が舞った。今年もそうだが、九州でも日本海側は雪がわりと降るようだ。 #
by suiryutei
| 2021-01-30 08:38
| 身辺雑記・自然
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