新人事制度 大阪での報告①~③
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11月の最終土曜日となった昨日は、成田空港で毎月行なわれるユナイテッド争議支援行動に参加した。酔流亭が住む我孫子から利根川に沿って下っていけば成田は近いのである。 もちろん昔と違って船で下っていくのではなく、成田線で行く。刈り入れはとっくに終わった初冬の田んぼが車窓の外に広がる。成田に近づくと、遠くにキラキラしているのは印旛沼の水面だろうか。 コロナウイルス感染が世界中でまた拡がっているから、空港ロビーはガランとしていた。その中で解雇の不当を訴える私たちの声がよく響いた。 行動のあと、成田山新勝寺の参道入り口にある居酒屋で軽く飲む。飲んでいるうち日はとっぷり暮れて、店を出て空を見上げると月がもうまん丸に近い。ついこのあいだ半月くらいだと思っていたのだが・・・。月の満ち欠けを見るたび思うのは日にちが過ぎていくのが早いことである。あの月がまん丸になって、欠けて、それからまた満ちた頃には2020年も、もう押し詰まっているではないか。 帰宅すると【A・Z通信】40号と、ネットで注文しておいた『ブロークン・ブリテンに聞け』(ブレィディみかこ著)が届いている。【A・Z通信】はこれが終刊で、最後らしい充実した内容だ。酔流亭が寄稿した文章は近日中にこのブログでも転載します。
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by suiryutei
| 2020-11-29 08:51
| ニュース・評論
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ことし終刊した同人誌【阿修羅】の後身である【阿修羅社通信】の早くも第三号を戴いた。 高校時代の世界史の恩師、綿引弘先生の連載『世界を動かした手紙』を読むのがたのしみである。一回の掲載で二つが取り上げられる。連載三回目の今回は、独立インドの初代首相ネールから娘のインディラ・ガンジー(彼女ものちに首相になる)に宛てたものとして『父が子に語る世界史』(J・ネルー著)と、もうひとつはアメリカ史に有名な冤罪サッコ&バンゼッティ事件の死刑囚の一人ニコラ・サッコが息子に宛てた手紙とが紹介されている。 ことに後者のサッコ&バンゼッティ事件については、同事件を題材にした映画『死刑台のメロディ』を酔流亭は高校三年生のときに観ている。ちょうど綿引先生から世界史の手ほどきを受けていた真っ最中である。サッコとバンゼッテイのことも初めて知ったのは綿引先生の授業によってだ。2人はイタリアからの移民。1920年に起きた強盗殺人事件に、証拠が無いのに犯人にでっちあげられて死刑にされた。労働運動に熱心な無政府主義者であり、兵役忌避もしたので狙われた。抗議運動が世界中で起きたし、刑執行後に真犯人も明らかになっている。 国立市にある学校から、授業のあと中央線に乗って新宿の映画館に行って、その映画を観た。 観終わったときの感動は今も忘れがたい。思うに、高校時代の酔流亭は綿引先生の世界史と、受験勉強に埋没しない証しに貪り観た数々の映画と、それからベトナム反戦デモとで人格形成されたようなものだ。 ところで『死刑台のメロディ』の唯一の難点は邦題であろうか。まるでギャング映画みたいではないか。それにアメリカでは死刑執行は電気椅子だが、死刑台と言ってしまっては日本のわれわれは絞首刑台をイメージしてしまう。イタリア語の原題はたしか SACCO E VANZETTI だから、そのまま『サッコとバンゼッティ』でよかったのに。 映画の音楽は先ごろ亡くなったエンニオ・モリコーネが作曲し、ジェーン・バエズが唄った。この主題曲が素晴らしかったものだから、配給会社の担当者はつい『・・のメロディ』とやってしまったのかもしれない。 下の写真は、ウディ・ガスリーがサッコ&バンゼッティ事件に寄せて作った詩の前半である。綿引先生が連載の中で紹介しているのを撮影した。 #
by suiryutei
| 2020-11-28 08:58
| 映画・TV
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郵便局で働いていた頃、泊まり勤務の連続が終わった明けの日には、神田や早稲田の古書店街をときおり歩いた。外を歩くのは不眠の身に陽射しがまぶしかったけれど、夜間労働のトンネルを抜けた開放感から、まっすぐ帰宅するのが勿体ないような思いだった。それに神田神保町の店並びがそうなっているように、古書店というのは通りの陽が射さない側に大抵ある。直射日光が当たることによって紙が変色してしまうのを避けるためだ。 下の写真の本も、そのころ買ったものだ。奥付を見ると1994年5月第一刷となっている。酔流亭は2005年前後に古本で買ったと記憶する。 今週は久しぶりにこの本を読み返してみた。 著者の廣松 渉(1933-1994)はマルクス一筋として知る人ぞ知る。いや相当知られていた人だけど現在は知る人ぞ・・だろうな。東大で哲学を教えていた。 目次はこうである。 1 自由・平等・友愛のマルクスにおける行方 2 マルクス経済(学)批判の意想・性格・射程 3 マルクスにおける労働の存在論とその構制 4 マルクス主義の哲学-その視座と地平 5 マルクスにおける歴史法則観に寄せて 6 マルクスと哲学の間 7 現代的世界観への道 8 起源としてのマルクス 4以降の後半は廣松の専門である哲学の話に入っていって、酔流亭にはとっつきにくかった。いっぽう一番興味深く読んだのは3の<マルクスにおける労働の存在論とその構制>である。なにしろこっちは20歳からこの間まで40年以上賃金労働者であったのだから、哲学の話では歯が立たなくとも、労働のことなら東大の先生よりも生身に刻みついてわかっているはず・・なんてね。 <包摂>という概念について丁寧に説明してくれているのがありがたかった。というのは、酔流亭はつい最近書いた文章のタイトルの中にこの<包摂>という語を入れたからである。今年出てかなり評判になった白井聡『武器としての「資本論」』が包摂を論じており、酔流亭はそこから拝借したのだが、どうも付け焼き刃という後ろめたさが、書いた当人として拭えなかった。廣松先生の講義ですこしはわかったような気に今はなっている。 しかし「『資本論』体系における労働論を問題にするさい、労働価値説という論脈での労働概念が当然の論件となる」(本書76ページ)ということである。 労働力商品を「等価交換」で売り買いしているのに、しかし(等価交換であるのに!)売り手である労働者は搾取されているというカラクリを明らかにすることが肝だということだろう。前出の白井『武器としての「資本論」』は、包摂についてはなかなか巧みに論じたのに、こちらは手抜きしているように酔流亭には思われる。 エフゲニー・パシュカーニスというソ連の法学者を紹介しておきながら、そのパシュカーニスが述べたという「等価交換の廃棄」については、具体的にはどういうことかを白井は語らないのである。白井はそれ(等価交換の廃棄の意味)を知らないのではなく、そこに筆を及ぼせば資本主義の廃絶=革命へと話が進むことに怯んだのではなかろうか。労働力の売り手であるところの労働者たちに向かっての白井のメッセージは、つまり市場での自分の交換価値を高めようということである。資本主義社会で生き残るために当面必要なことである。しかし「等価交換の廃棄」ではなく、等価交換に乗っかることだ。本心からそれが言いたかったのなら、なにもパシュカーニスなど持ち出すことはない。 どうも話が廣松渉から白井聡に逸れてしまった。碩学の文で目を洗うと最近の論者の粗が目についてしまうのである。 『武器としての「資本論」』を読んだときの感想の後半(7月31日更新記事)を再掲しておきます。 #
by suiryutei
| 2020-11-27 13:20
| 文学・書評
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NHKの朝ドラ『エール』は今週が最終週。朝ドラは例年なら9月いっぱいまでで10月からは新作に切り替わるはずが、今年はコロナ禍で収録が中断した時期があって中途半端なことになった。今朝の放送が実質的に最終回だ。明日はこれまでの出演者たちが顔を見せて歌う15分間になるようだ。 さて我が家では総合放送の午前8時からではなく、BSプレミアムで7時半からの放送を視ている。すると、BSプレミアムではその前の時間帯つまり7時15分~30分は古い朝ドラの再放送を流しているのである。9月までは斉藤由貴主演、1986年放送の『はね駒』だったし、こちらは再放送なのでコロナ禍は関係ないから10月からは『澪つくし』が始まった。沢口靖子主演、1985年の作品である。ついでに視ている。 ヒロインは銚子の醤油醸造元の娘だ。しかし母親(演・加賀まりこ)は正妻ではなく、蔵元(演・津川雅彦)のお妾さんである。正妻には長女がいて、ヒロインとは腹違いの姉ということになる。桜田淳子が演じている。東京の大学を出ているが、そこで左翼思想の洗礼を受けたらしい。もっとも左翼的なことを口にする割には、それならば連帯するべきプロレタリアートであるはずの自家で働く職人たちと打ち解けるかといったら、そうでもない。頭の中の理屈と日常生活が乖離したブルジョア娘というふうに、これまでの展開ではそう見えたが、今朝の放送を視ると、ちょっと違っていきそうな雰囲気になってきた。彼女の恋人であり左翼仲間でもある若者が検挙され、たまたまその場に居合わせたヒロインまで警察にひっぱられるという事件が今週の放送で勃発したのである。ヒロインは何も知らなくて、姉に言われて若者のところに金を届けに行ったところだった。 登場人物の会話に時折「野田の同業者のところで争議が起きている」ことが匂わされる。野田の同業者(醤油醸造)の争議といえば、野田争議が有名だ。1927年ごろのことで、『澪つくし』も大正天皇が亡くなって喪に服していたあたり(つまり昭和初年)からドラマが始まっているから、時代が合う。 野田争議は野田醤油(現在のキッコーマン)で起きた大争議である。この争議に取材した『ぼくたちの野田争議』という本を前に読んだことがある。なおヒロインの家はヒゲタ醤油がモデルだそうだ。いまウィキペディアで調べてみると、この両社は現実の世界では資本提携したり分離したりをくり返してきたようだ。 争議の結果、待遇改善のいくつかは実現したけれど、作ろうと目指された産業別の労働組合は閉め出された。代わって作られる従業員組織は戦時下には産業報国会になるし、今日の日本の企業別労働組合だって、労組と名乗りながらも、むしろそうした戦前の従業員組織の尻尾をひきずっているようなところがある。 『澪つくし』に話を戻せば、ヒロインの姉の恋人である若者が検挙されたのは3月15日だと、今朝の放送では明かされる。あのころの3月15日に行なわれた左翼弾圧といえば、あの3.15事件ではないか! 1928年3月15日に共産党員とそのシンパにかけられた大弾圧であり、全国で検束された者数千人、検挙は約300人。これに取材して小林多喜二は『一九二八年三月一五日』を、中野重治は『春さきの風』を書いた。 ヒロインの姉の恋人は警察で酷い拷問を受ける。前記した小林多喜二の『一九二八年三月一五日』を脚本家(ジェームス三木)はもちろん意識していたろう。踏み込まれたアジトに、たしか「澪人舎」という看板が架けられていたのは一昨日の放送で目に入った。澪は『澪つくし』の番組タイトルからもじったとして、澪人とつなげればレーニンと読める。 この先の展開も視ていきたい気になった。 #
by suiryutei
| 2020-11-25 12:46
| 映画・TV
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2016年春に仕事から離れたのだけれど、今年の春までの4年間は都心までJRの通勤定期を買っていた。 賃労働をやめても、人と会ったりデモや集会に出かけたりで週に4~5日は都内に行く生活が続いていた。それならばいちいち交通費を払うより定期券のほうが割安である。 しかし、通勤手当が出ていた現役時代と違って、足代がハンパでない。年金生活者がこんな日常をいつまでも続けていられないなあと思っていたところに、今年になってのコロナ禍である。移動、ことに都心へのそれは控えめにしないといけない。昨年暮れに買った半年間の定期券の期限が来たのを機に、定期券利用はやめた。 都心に出る回数を従来より絞り込んで、そうして都心に行く日は用事をまとめるようにする。 昨日はそんな一日であった。朝食をすませてから、普段の日課(?)のようになったブログ更新もこの日は休んで、家を出る。成田線から常磐線に乗り継いで上野駅で下車。本郷まで歩く。途中、上野公園内、不忍池の畔や、湯島のあたりの銀杏がだいぶ黄葉してきている。東京というのは銀杏の多い街であって、11月下旬は銀杏の葉の黄色で街が明るさを増す。曇り空の昨日でさえ、そうだった。このさき12月の初め頃まで、晴れていればどんなに気持ちいいことかと思う。 本郷では新聞『思想運動』12月号の校正を手伝う。手伝うといっても、ゲラを見て誤字や脱字がないかさがすくらいのことしかできないが。 先月15日に出た郵政労働契約法20条裁判最高裁判決についての論評を酔流亭はこの号に寄稿した。同じテーマでは『伝送便』11月号にも書いている。内容がだぶらないよう、今回は判決内容についてより政府の「同一労働同一賃金」ガイドライン批判と運動側が進むべき方向を述べることにした。2000字ほどだが、組み上がったゲラを見ると、少し字がはみ出している。どうにか縮めた。2000字を小見出し一つを挟んでまったく改行なしで読んでいただくことになるけれど、ナニ、このところこのブログでよく触れる石川淳だってほとんど改行なしの文章を書くことがあるじゃないかと自分を励ます。 明後日、27日に完成→発送の予定ということである。 それから神田に向かう。蕎麦の[まつや]で友人のHさんと待ち合わせ。午前中から動いているから、時刻はまだ昼過ぎであって、久しぶりの昼の蕎麦屋酒である。Hさんはビール、酔流亭は菊正宗の熱燗を飲む。 須田町の交差点を渡って[高山珈琲店]で小憩。旧万世橋駅のあったあたりに残る煉瓦塀に沿って御茶ノ水駅へ。Hさんとはそこで別れた。ニコライ堂のほうをすこし歩きたいという。 ニコライ堂はロシア正教の教会であるが、そういえば五日市憲法草案を作る中心になった千葉卓三郎は五日市にたどり着くまでの遍歴の日々、ロシア正教に惹かれた時期もあったらしいということをふと思ったのは、歴史家・色川大吉さんを慕う人たちが運営するサークルでHさんとは知り合ったからである。五日市憲法草案を西多摩の草深い村里で発見したのは色川大吉さんたちであった。 酔流亭は聖橋を渡って神田明神を抜け、外神田にある『伝送便』事務所に向かう。聖橋のあたりの銀杏もよかった。 『伝送便』誌のほうも12月号の校正作業に入っている。郵便法の「改正案」が20日の衆院本会議で可決されており、来年秋にも郵便は土曜休配になる。衆院で全会一致で可決されたように、これにはほとんど誰も反対しない。けれども現場からみると問題が無いわけではない。12月号の特集は、働いている者からの声を紹介する。酔流亭は特集とは別に、巻頭のコラムを書いた。こちらは800字。Go Toキャンペーンについて。 『伝送便』の完成→発送は30日の予定。 #
by suiryutei
| 2020-11-25 08:53
| 身辺雑記・自然
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