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新人事制度 大阪での報告①~③
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『伝送便』誌7月号への寄稿を転写します。大型連休の前に公開された映画『オールド・オーク』をまだ上映しているのは、いま調べたら東京都内では2館。そのうちの一つ新宿武蔵野館では今月9日までだそうです。未見の方は是非! イギリスの巨匠ケン・ローチの新作は同国北東部の旧炭鉱町が舞台だ。タイトルの〔オールド・オーク〕とは、その町で長く続き、かつては炭鉱労働者たちの溜まり場だった酒場(パブ)の名である。 私が気にかかったのは、この店に今も(時代設定は二〇一六年)通う常連客たちのことだ。一九五五年生まれの私と彼らはほぼ同世代だろう。 彼らが働いていたイギリスの炭鉱では、効率化を追求して、また強力だった労働運動を叩き潰そうともして、廃坑が提案される。一九八〇年代なかばのことである。労働組合はストライキをもって果敢に闘ったけれども、当時のマーガレット・サッチャー政権は強硬姿勢を貫き、ストライキは敗北を喫する。 同じころ日本でも国鉄の民営化が断行され、強力だった国鉄の労働組合は大きく力を殺がれた。私たちの郵便局では、その数年前の一九七〇年代末、労働組合敵視の労務政策に抗って反マル生越年闘争と呼ばれるものが闘われたけれども、これも多くの解雇者を出して敗北している。全国で五八名が懲戒免職。その一人だった池田実さんの職場復帰までの闘いの足取りは著書『郵政労使に問う』(すいれん舎)に詳しい。 映画に戻れば、炭鉱が無くなり、さびれていく街に、故国での戦火を逃れてやってきた移民たちが増えていく。〔オールド・オーク〕の常連たちは、それを自分たちの居場所がよそ者に奪われると感じるのである。 イギリスの旧炭鉱町だけでなく、世界のどこでも見られる光景だろう。かつての工業先進国では、いまやたいてい製造業が不振だから、基幹産業にいた労働者階級も精彩がない。自分たちが精彩を欠く、その不満のはけ口が、増えつつある移民に向けられる。第三次産業(サービス業など)に職を得ることが多い移民労働者は世の中になくてはならない存在になっているというのに。 こうした分断を乗り越えるためにまずやらなければならないのは、出会いの場を作ることだ。映画の主人公TJ・バランタイン(〔オールド・オーク〕のあるじ。常連客とは同世代。父親も炭鉱労働者で、炭坑の事故で亡くなっている)はそう考えて、シリアからの移民である若い女性ヤラたちと協力して、移民と地元民が顔を合わせる食事会を行う。ところが、彼らの協働が深まるほど、それを妬んでヘイトを鋭くしていく者がいる。同時に、それはまずいと、立ち止まる者も出てくる。同じ境遇にある者が、右にも左にも行きうる。 右にも左にも行きうる人たちを、あっちに追いやるのではなく、こっちに引き戻すには、どうしたらいいか。 食事会くらいでどうにかなるものかよ、と言うなかれ。そういう取り組みを続ける人がいることが大事なのだ。失敗し、妨害されても諦めない。その先に映画は希望をつないでいるように思う。万国の労働者、必見の映画である。 映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』について投稿記事 : 酔流亭日乗 『家族を想うとき』のアクチュアリティ ~『伝送便』掲載文 : 酔流亭日乗 ![]() #
by suiryutei
| 2026-07-05 08:33
| 映画・TV
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今日は午後から雑誌『労働者文学』第95号の校正作業がある。 この雑誌は現在、年一度の発行だから、その校正も年に一度の作業ということに。 酔流亭は実はこの一週間ばかり体調がちょっとよくなく、今週火曜日にあった『伝送便』7月号の発送作業も休んでしまったのだけれど、『伝送便』は月刊なのに対して、年に一度の『労働者文学』となれば、今日は這ってでも行かなくてはならない。 そんな今朝、元気づけられたのは、朝刊(朝日新聞)の読書欄に載った書評家・岡崎武志氏の文章(『アンソロジーの楽しみ』)が<よみがえる逸品>という小見出しで佐多稲子の短編集に触れていることだ。 佐多稲子の話題になぜ元気づけられたかというと、一年前の『労働者文学』第94号に佐多稲子の初期の短編に触れた文章を酔流亭は書いているからだ。 岡崎氏は今朝の朝刊で佐多のことを 「没して28年、やや忘れかけた作家だった。」 と書いてから、 「しかし、ここに初期から晩年まで精選した短編群を読むと、労働と地下活動、ともに戦った女たちを描いて、一級の作家だったとわかる。」 と続ける。 同感である。 というわけで、もうすこししたら早めの昼食を摂って、校正作業用の赤いボールペンを忘れず、都内に出かけていきます。 なお雑誌『労働者文学』第95号は、順調にいけば(行くかなあ)今月末に発行の予定です。購読法については、下に貼り付けた労働者文学会HPに。
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by suiryutei
| 2026-07-04 09:30
| 文学・書評
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今年4月に出た本だが、収められている文章は2023年から25年にかけてのもの。1934年生まれの作者にとって90歳前後の文章だ。「老耄・・日記」とサブタイトルにある所以である。 その年齢になっても大変な健啖ぶりで、銀座〔久兵衛〕(超高級寿司屋です)とかホテル・ニューオータニ内のレストランとか、こちらなどはとても足が向かない高級店を食べ歩く。 まあ、勝手にやってくださいというところだけれども、そんな暴美食?日記の合間にまともな文章も挟まっていて、たとえば一昨年の夏ガルシア・マルケスの『百年の孤独』が文庫化されたとき、その文庫版(新潮文庫)の解説を書いたのは筒井康隆。その解説全文も収録されている。 それによれば、筒井は『百年の孤独』の魁偉を認めた上で、より好むのは同じ作者の『族長の秋』だという。 「文学的には本書(『百年の孤独』=引用者)の方が芸術性は高いのかもしれないが、その破茶滅茶度においてはこちら(『族長の秋』=同)が上回っている」(155ページ)。 酔流亭は『族長の秋』は未読で、いずれは読みたいと思っていたのだが、『百年の孤独』よりハチャメチャならば、恐ろしくてちょっと手が出ないね。 津村喜久子の『水車小屋のネネ』が第59回谷崎潤一郎賞を受賞したとき(2023年)の選評も載っている。筒井はこの賞の選考委員なのである。 「心憎いばかりに読者を感情移入させる傑作。最後はネネやりっちゃんと別れるのがつらかった。」 酔流亭も同じように思った。美食や贅沢のかぎりを尽くしても、この老大家の感受性はまだ瑞々しい。 ※一年前、ハン・ガンの文学についてノートをつけたとき、対象(ハン・ガン文学)に接近していくための足掛かりとして酔流亭は『百年の孤独』と『水車小屋のネネ』に言及していたのだった(〔いてんぜ通信〕第19号)。老大家との偶然の一致?に喜ぶ。 #
by suiryutei
| 2026-07-03 09:06
| 文学・書評
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このあいだの日曜だから先月28日のことである。 夕食の時刻となったので食卓に着き、なんとなくTVを点けるとNHKBSで『釣りびと万歳』という番組が始まるところであった(午後5時半~)。 場所は沖縄県の今帰仁村で、この回のゲスト出演者(釣りびと)は俳優の尾野真千子である。 この人は現在、東京と沖縄とで二拠点生活をしているそうだ。芸能の仕事があるときは東京、普段の生活は沖縄の今帰仁村で、ということなのだろう。 偶然つけたTV番組であるけれども、わが家は尾野真千子さんのファンである。彼女の出世作となった『カーネーション』(2012年度後期のNHK朝ドラ)より早く、2009年のTVドラマ『火の魚』のときから注目していた。 さて釣りびととしての彼女が番組で挑んだのはアカジンミーバイという巨魚であった。本州などではハタと呼ばれている魚を沖縄ではミーバイと言う。アカジンミーバイとは、そのミーバイの代表的なものだという。 ミーバイという魚名に酔流亭が憶えがあるのは、目取真俊の小説『神ウナギ』にそれが登場する一行があるからだ。 「・・仕掛けは大型のアーラミーバイでも釣れるもので、竿は使わずにテグスをコカ・コーラの瓶に巻いただけだった。」(影書房刊 目取真俊『魂魄の道』 所収「神ウナギ」110ページ)。 首都圏の自動車工場で出稼ぎをしていた主人公が、久しぶりに郷里の沖縄に帰って、湧き水の池でもしかしたらまだ棲息しているかもしれない大ウナギを釣ろうとする場面である。 そういえば目取真俊氏が生まれたのは今帰仁村なのであった。『釣りびと万歳』で尾野真千子さんが乗った釣り船は今帰仁村の運天港から出帆していたが、目取真作品には運天港を舞台にした『露』という短編もある。港での荷揚げ仕事のあと労働者たちの酒盛りが始まり、沖縄戦の体験や、出征先の中国大陸での日本軍の非道な行為が語られていく。作者は若いころ運天港で荷揚げのアルバイトをしていたことがあり、そのときの体験が題材になっているようだ。 酔流亭は二年前、目取真俊氏の短編いくつかをテキストにした読書会で報告をしたことがある。そのときのことは下の過去記事に。 目取真俊氏は先月3日、沖縄県警によって「器物損壊」で在宅起訴され、自宅を捜査されてパソコンやスマホを押収された。去年10月から今年5月にかけ、米軍キャンプシュワブのフェンスなどを壊したというのである。しかし、現場を知る人によれば、老朽化していたものに手を触れた程度のことだという。芥川賞作家の発信力を恐れての不当弾圧である。辺野古沖で3月に起きた船転覆事故(2名が死亡)に乗じた、全体主義国家まがいのやり方だ。 辺野古新基地建設に反対の声を改めて上げて行きたい。 ※目取真俊氏のブログを貼っておきます。 #
by suiryutei
| 2026-07-02 09:32
| 文学・書評
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先ほど午前7時台のNHKニュースでも視たし、昨晩のニュースでも視た。 今夜8時からEテレで放送される〔ハートネットTV 特集オンラインゲームろう・難聴の情報保障〕という番組の紹介的なニュースであるようだ。 同番組のHPを覗くと、今夜放送のその特集の内容は、こうである。 日本ではいまや2人に1人が夢中になっているといわれるゲーム。中でも人気は「オンラインゲーム」だが、音声(ボイスチャット)を使ったコミュニケーションや、効果音など音声中心のゲーム設計が壁となり、ろう・難聴者は十分に楽しめないことも。番組では、ろう者ゲーマーが工夫しながら仲間とプレーを楽しむ方法や、光や振動などでゲーム体験を充実させる取り組みを紹介!みんなでゲームを楽しめる情報保障について考える。 ゲームがろう・難聴者の利用を排除するような設定になっているので、それをなんとかしよう、という趣旨はわかる。ところが、そのゲームというのが、昨夜と今朝のNHKニュースの映像から視るかぎりでは、戦場において相手と撃ち合い、倒すというもの。殺し合いがゲーム化されているのである。 そういうゲームに対する批判的視点を、すこしは織り込めなかったものだろうか。 こんなことを感じたのは、今朝7時台のTVニュースを視たすぐあと、朝刊の社会面で「小学校2年生のとき、日中戦争が始まりました」という96歳の女性の聞き取り記事を読んだからだ。 ![]() 3段目に、こうある。 「・・男の子たちは<(中国兵を)やっつけてきてね><皆殺し>って叫んでいた。」 さて現代。たとえゲームであっても、人を殺すことに無感覚になっていくのは怖い。 #
by suiryutei
| 2026-07-01 08:40
| ニュース・評論
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