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新人事制度 大阪での報告①~③
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午前3時40分ごろ目が覚めた。W杯ブラジルー日本戦がまだ終わっていないなと思い、寝室のある2階から階下に降りて、台所の明かりを灯す。外はまだ暗い。 TVを点けると、果たして後半も終了直前である。1-1。W杯過去5回優勝の強豪に対して、決勝トーナメントではまだ勝った歴史のない日本がよく頑張っているなと感心していたら、アディショナルタイム(選手交代などで中断した分を45分間のあとに追加する時間帯。この試合ではたしか6分間と説明されていた)に入ってブラジルが決勝点を挙げた。 酔流亭としてはブラジルが勝ったのを喜ぶ。理由は二つあって、一つは同国のルラ大統領が好きである。日本の首相とは違って、トランプに対しても堂々とモノ申している。それがこの愚物の怒りを買って、れいのトランプ関税では50%なんてとんでもない率をふっかけられたりしたが、脅されても媚びへつらわない。政治の選り好みをスポーツに持ち込むのはよくないことだと承知はしているけれど。 もう一つの理由は、もし日本が勝ち進んだら、日本のサポーターたちが日の丸を振り回す図を横目にしながら「国旗損壊罪」の杜撰で強引な成立への動きがピッチを上げるだろう。これこそ政治がスポーツを利用しまくる図であるけれども。 それはさておき。 『学習の友』という雑誌の7月号に、志真斗美恵さんが峠三吉の『原爆詩集』のことを書かれている。掲載誌面のコピーを頂いたので、紹介したい。 志真さんはドイツ文学の研究者であり、画家ケーテ・コルヴィッツについての著作などもある。労働者文学賞の詩部門の選考委員をお願いするなど、労働者文学会としてもお世話になっている。 酔流亭は峠三吉の名は知っているけれども作品をまだちゃんと読んではいない。向き合わなくてはならないと思う。 志真さんは結び近くで栗原貞子の詩『ヒロシマというとき』の一連を紹介している。この詩は素晴らしいと思う。何度も読んだ。 『学習の友』を発行している労働者教育協会のブログを覗いてみると【編集後記】にこうあった。 志真さんのエッセーも素晴らしいです。 この機会に峠三吉や栗原貞子の詩を読み、語り合いましょう。 #
by suiryutei
| 2026-06-30 09:27
| 文学・書評
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朝日新聞のこのあいだまでは別刷り土曜版、現在では日曜の紙面に連載されている人生相談コーナー〔悩みのるつぼ〕では、美輪明宏の応答が酔流亭には一番面白かった(他の応答者は上野千鶴子、姜尚中など)。悩みの相談を「面白い」などと言っては申し訳ない気もするけれど。 上に貼った写真は今日の朝日新聞朝刊の一面。この記事の下にある〔天声人語〕も、この人生相談における美輪の応答を話題にしていた。 コラムは美輪明宏作詞作曲によるヒット曲『ヨイトマケの唄』にも触れる。 <ヨイトマケは「よいっと巻け」のかけ声。工事現場で地固めをする人や力仕事を意味する。> あの歌が力仕事の労働現場を歌っているとは、なんとなく感じていたが。 この歌を紅白歌合戦で美輪が熱唱した場面はよく覚えている。2012年の大晦日ということだが、ついこのあいだのような気。それだけ強烈な印象が残っているのである。 人生相談〔悩みのるつぼ〕におけるあの応答をもう読めないとは寂しい。 #
by suiryutei
| 2026-06-29 08:48
| 音楽
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またラジオからの話題。 数日前の昼過ぎ、高田渡が唄う『コーヒーブルース』が流れてくるのを聴いた。 歌詞の一部を紹介すると。 三条に行かなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね あの娘に遭いに なに好きなコーヒーを少しばかり 冒頭の<三条>とは、京都の三条のことだ。堺町通り三条下ルに〔イノダコーヒー〕という喫茶店がある。 <あの娘に遭いに>の<あの娘>とは、店のウエイトレスだろうか。 <おはよう可愛い娘ちゃんご機嫌いかが>という歌詞が続くから、行くのは朝と決まっていたのだろう。 〔イノダ〕は酔流亭も好きな店だ。といっても、一番最近で行ったのは2014年11月のなかば。もう12年も前だから、最近とはとても言えない。 その12年前は『伝送便』の全国編集委員会が京都で行なわれたのである。土曜から日曜にかけての泊まり込み会議で、日曜の午前いっぱいまで。 出席した人たちと昼食を共にした後、せっかく紅葉の京都に来たのだからと、1人になって街を歩いた。そのときのことは14年11月20日の更新記事に書いてある。 なにしろ観光シーズンさなかの日曜午後である。どこへ行っても人で一杯だった。〔イノダ〕もさすがに普段の静謐さはない。それでも店の隅っこに席をとることができた。コーヒーは変わらず美味かった。 もっと前、まだ若くて、京都に一人でふらりと出かけて行ったりしていた頃は、平日の午前に〔イノダ〕でコーヒーを喫したものだ。 いつ行っても、商家の旦那ふうの人が何人かテーブルを囲んで世間話をしているのを見かけた。白い上っ張りの給仕の人がキビキビと立ち働く。ウエイトレスもいたに違いないが、ウエイターのほうが酔流亭には印象に残っている。 上の画は、池波正太郎『むかしの味』(新潮社)に載っている挿絵。池波自身が絵筆を執っている。 さて京都に出かけていくどころか、この頃の酔流亭は都心を歩いていても喫茶店に入ることは滅多にない。家では、毎朝必ずコーヒーを飲む。 ドリップで淹れたコーヒーのカップ半分ほどは砂糖もミルクも入れずに飲み、それから残った半分に牛乳を少し加え、電子レンジで加熱しなおして飲む。このとき〔イノダ〕をちらり思い出さないこともない。〔イノダ〕では初めからミルクを入れてコーヒーを供するからだ。初めてのときは驚いた。しかし、ミルクと、砂糖も少し入ったそのコーヒーが旨いのだ。砂糖をもっと加えたい人のためには角砂糖が皿のスプーンの上に添えてある。 あるいは酔流亭は、G・ガルシア-マルケス『百年の孤独』における、一家の家祖、ホセ・アルカディオ-ブェンディアのことを想わないでもない。彼は年老いて廃人のようになってからも、妻ウルスラが毎朝淹れてくれるミルクがたっぷり入ったコーヒーを庭で飲んでいるからだ。 あの小説の舞台は架空の土地だが、著者マルケスの故国コロンビアが寓されているのは明らか。コーヒーの一大産地ではないか。 #
by suiryutei
| 2026-06-28 08:49
| 音楽
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一週間ほども前だろうか。NHKAM〔ラジオ深夜便〕の午前2時台くらいの時間帯で美空ひばりの特集をやっていたのを聴いた。 そんな真夜中の放送であるから、リアルタイムではなく、その日か翌日の昼間に<聴き逃がし配信>を利用して聴いたのである。普段あまり聴かないけれども、美空ひばりの歌っていいなと、改めて思った。 1時間弱の特集時間の中ほどに『日和下駄』という歌もかかった。語彙の詰まった歌詞で、歌うのが難しい、というような解説をアナウンサーがしたように思う。ユーチューブで聴けます。 テンポが速くてジャズのようであるのに『日和下駄』なんて和風のタイトルなのも面白い。じつは前に何度か聴いている歌だが、それが『日和下駄』というタイトルであることは今回初めて知った。 初めて知ったといえば、日和下駄とはどういうものかということもだ。酔流亭はてっきり、それを歯の高い下駄のことだとばかり思い込んでいた。 ところが、逆なんですね。ネットでAIが教えを垂れるところによれば、晴れた日に履く、歯の短い下駄のことだという。たしかに、日和=晴れであるから、水たまりを踏むこともない。論理的に考えれば、下駄の歯は短くてよいことになる。 永井荷風の随筆に『日和下駄』と題する作品がある。その冒頭の一行はこうである。 「人並外れて丈が高い上にわたしはいつも日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。」 「丈が高い上に」と書いて「いつも日和下駄をはき」と続けるのだから、ノッポの上にさらに歯の高い下駄も履くんだな、とふつう考えるじゃないですか。日和下駄に対する酔流亭の誤解の原因は荷風散人の格調高い書き出しにあったようだ。 下の写真は岩波文庫『荷風随筆集』上下2冊のうち1冊目の目次に続くページ。挿絵の人物(明らかに永井荷風)が履いている下駄だって、ほら、やたら歯が高いじゃないの。 美空ひばりの歌に話を戻すと、彼女の『日和下駄』が世に出たのは1954年だという。1879年生まれの荷風が没したのは1959年だから、晩年の荷風はおそらくひばりの歌を聴いているはず。どんな感想を持ったろうか。 梅雨どきになると荷風を読みたくなる。『つゆのあとさき』なんて題の作品もあるせいか。
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by suiryutei
| 2026-06-27 08:55
| 音楽
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23日の沖縄〔慰霊の日〕をめぐる新聞報道を読んでいて驚いたのは、高市首相は去年10月に就任してから、沖縄を訪ねたのは今回が初めてだということだ。8か月も経っている。 そうして8か月目に初めて実現した玉城デニー沖縄県知事との<会談>はわずか5分間だったと、昨日の朝日新聞朝刊2面は伝える(上に貼った写真は、その朝日朝刊2面)。 これで、何の話ができたのだろう。記事によれば、首里城の復元のことや物価高のことであったという。普天間移設や自衛隊の<南西シフト>は話題にのぼらなかった。それはそうだろう。5分間では挨拶に毛の生えた程度の会話しかできまい。 「後日もうすこしお時間をいただいて話ができれば」と言う玉城知事に対して、高市首相は「わかりました」と返したということだが、「沖縄の皆様には、戦後80年を経た今もなお、米軍基地の集中による大きなご負担を担っていただいております」(慰霊式での言葉)が口先だけではないのなら、話し合いは首相のほうから申し出なければならないことではないか。 安倍晋三や菅義偉も沖縄に対して冷ややかだったが、それでも2014年12月に翁長雄志が沖縄県知事に当選した後、4ヵ月後の15年4月には翁長と二人(菅は当時、官房長官)の会談が実現している。 それにしても、高市が首相に就任した去年10月からこんにちまでの8か月の間に何があったか。今年2月には、たとえ辺野古の新基地が完成したとしても、緊急時に米軍が使える長い滑走路を持つ空港が選定されないのであれば普天間基地は返還しないという米国防総省の公式見解が広く知られることになった。米軍基地が汚染源であることが限りなく確実に推定できるPFASの問題も酷い。 「辺野古が唯一」とくり返しているだけでいいはずがない。PFAS汚染では米国に抗議し、交渉しなければならない。それなのに、日本政府は何をやってきたのだろうか。 そして一番の問題は、そんな高市政権を日本国民が誕生させてしまい、いまだにそれなりに高い支持率を与えていることだ。 先に名を出した翁長雄志は、まだ那覇市長だった2013年1月、普天間の県外移設を求め、オスプレイの配備に反対する「建白書」を持って上京した。そのとき沖縄県内の自治体首長たちと共に銀座を要請行動で行進したところ、沿道の一部から「売国奴」「中国のスパイ」という罵声を浴びせられた。 罵声を浴びせられたことより、周囲の市民がそれを黙って見ていたことによりショックを受けたと翁長はのちに述懐している。 <本土>の有権者たちが現在、高市に高い支持を与えているのは、それとそっくりの図ではないか。 さきほど地震のニュースが飛び込んできた。青森県で午前7時半に震度6強。関東にある我が家でも、こんなに離れているのにユラ~リと揺れた。被害が大きくないことを願う。天災・人災ともに多いわがくにだ。
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by suiryutei
| 2026-06-25 08:14
| ニュース・評論
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