新人事制度 大阪での報告①~③
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年の初めにやっていたしくじりに、今年もまるまる二か月が過ぎた今になって気づいた。 年賀状の出しもれなので、年の初めというより、正確には去年暮れに犯したミスである。 ![]() 3日前のことだ。『平頂山事件を考える』(井上久士著、新日本出版社)を久しぶりに(今年になって初めて)本棚から抜き取ろうとしたところ、同書とその隣りの本(吉田智弥さんから去年いただいた吉田さん著『自称サヨク活動家の50年』)との間に一枚のハガキが挟まっている。 友人のNさん宛てに書いてあった今年の年賀状である。 ![]() 酔流亭としては、このNさん宛ての一枚も、他の数十枚の年賀状と一緒に、今年元旦に届くよう、去年12月25日よりも前に投函したつもりになっていた。 元旦にはNさんから今年もいつも通り丁寧な年賀状をいただいている。ところが、酔流亭は欠礼したまま、ずっと知らん顔していたわけだ。 これは申し訳ないことをしてしまった。 ![]() どうしてこんなミスをしてしまったのか。 去年暮れ、年賀ハガキは書き上がってから数日間、机の上に置いていた。机の上には『平頂山事件を考える』と『自称サヨク活動家の50年』の二書も去年の年内いっぱい、置いてあった。去年この二書は何度も手に取ることがあったので、本棚にではなく机の上に置きっぱなしにしておいたのだ。 すると、書き上がった数十枚の年賀ハガキを机の上に置いていた数日間のうちに、何かの拍子でNさん宛ての一枚だけが二冊の本のあいだに紛れ込んでしまったらしい。 二冊の本は、大晦日に机上を整理するときようやく本棚に移したのだが、記憶が曖昧だけれどおそらく重ねたまま本棚に持って行ったので間に挟まったハガキに気づかなかったのだろう。 Nさんへは一昨日、そのハガキを、〔年賀〕と印字されているのを横線を引いて消し、余白におわびを書き入れて、投函した。 ところで、ハガキ発見のきっかけとなったのは、上に書いたように、『平頂山事件を考える』を手に取ろうとしたことだ。なぜ手に取ろうとしたかというと、最新(1月19日発表)の直木賞受賞作『地図と拳』(小川哲 著)に、明らかにに平頂山事件をモデルにしたと思われるエピソードが登場するからである。これは酔流亭にとって驚きであった。 『地図と拳』は大変な力作であり、多くの読者を得るだろう。参考文献として『平頂山事件を考える』も是非読んでほしい。『平頂山・・』の書評を去年書いている者として、そう希望する。 #
by suiryutei
| 2023-03-03 08:58
| 文学・書評
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『孤独のグルメ』というTV番組をご存じの人は多いと思う。 松重豊が扮する主人公・井之頭五郎は輸入雑貨商。仕事で行った先の街でよさげな飲食店を探し、そこで腹いっぱい食べる。それだけで、とくにストーリーはない。登場する店は実在の店だ。松重豊の食べっぷりが見事なこともあって人気番組である。 10年くらい前から、毎年ほぼ1シリーズ(10話)ずつTV東京で放送され、去年までに10シリーズにいたる。そのこれまでに放送された全て(1シリーズ10話で10シリーズということは全100話か)が去年暮れから再放送されている。毎週月曜から木曜まで、午後5時45分~6時25分という時間帯だ。 在宅している日はちょうど夕食を摂る時間帯だから、食べながらよく視ている。昨夕の放送では、主人公・井之頭五郎は富山県富山市の岩瀬浜に出没した。 江戸時代、北前船の交易で栄えた町である。五郎さんも商談を片付けてから、北前船の廻船問屋であった森家(屋敷が現存している)なんかを覗いて歩く。 造り酒屋の前も通り過ぎた。 じつは酔流亭も20年ほど前、日本海に面するこの町を訪ねたことがある。森家も見学したし、造り酒屋にも憶えがある。井之頭五郎は下戸で酒は飲めないという設定だが、酔流亭はそのとき造り酒屋の近くにあった蕎麦屋で、その酒、満寿泉を飲んだ。肴はタタミイワシを炙ったものだったと記憶する。 そうして、これは全く偶然のことに、昨夕、我が家で飲んでいた酒もその満寿泉であった。去年暮れのうちに、満寿泉を含めて各地の銘酒を一升瓶で5本、ネットを通じて購入した。以前の酔流亭なら、暮れに5升買ったなら、3月ともなったらとっくに飲み切っていたはずながら、今は病気療養の身。酒量を減らし、大事に大事に飲んできて、最後に残った1本が満寿泉である。 そういうふうに惜しみ惜しみ舐めるように飲んでいるせいもあるだろう、この酒が、じつに美味いんだなあ。 なお昨日の放送で井之頭五郎が暖簾をくぐったのは〔舞子〕という店名の小料理屋であった。初めのほうに書いたように実在する店だ。五郎さんは酒は飲まずに、刺身やオデンをおかずに白いご飯を食べた。近くのカウンター席にいた地元客が傾けていた盃の中は、明示はされなかったけれど満寿泉であったに違いない。 #
by suiryutei
| 2023-03-02 09:14
| 酒・蕎麦・食関係
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いまウィキペディアで調べてみるに、コメダ珈琲店が名古屋で産声を上げたのは1968年だという。わが町・我孫子にも店が出来て10年ちょっとだろうか。やはりウィキペディアに「2011年に全国400店舗達成」とあるから、その前後かと思う。常磐線沿線では都心に近い松戸や柏より我孫子のほうが早かったのではないかしら。 我孫子店は我孫子郵便局のすぐ向かいにある。 昨日、そのコメダ珈琲店でお昼を食べた。開店したばかりのころ行った記憶があるから、ずいぶん久しぶりだ。 午前11時過ぎ、駐車場に車を入れると、かなり広いそこがほぼ満車である。店内も満席で、入口には席を待つ名前を書く紙が置かれている。名前をカタカナで、人数は2と記入(連れ合いと二人であった)して、しばし待つ。 平日なのにすごい繁盛だなと思ったら、モーニングサービスが午前11時まで。その時間帯がことに賑わうようだ。われわれの入店は11時少し過ぎだから、席は回転よく、じきテーブルに案内された。 店内には新聞、週刊誌がいくつか置かれている。中に週刊文春の最新号もあった。先月23日更新記事で話題にした、色川大吉さんと上野千鶴子さんの仲に触れた記事の載った号である。「安倍銃撃疑惑」の記事と並ぶ大きな扱いだ。 悪意のある記述ではなく、事実を普通に書いてあるように思えた。生前の色川さんの謦咳に接していた友人から聞いても、二人の仲は理想的な関係であって、揶揄の入る余地などなかろう。 酔流亭はブレンドコーヒー、連れ合いはカフェオレを喫し、ミックスサンドイッチとハンバーガーを分け合って食べた。なかなかボリュームのあるランチになった。 コーヒーにサービスとして小さな袋に入った豆が付くのがいかにも名古屋発祥らしいですね。
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by suiryutei
| 2023-03-01 08:59
| 酒・蕎麦・食関係
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庭の三椏が色づいてきた。春がいよいよ近づいてきたのだ。 郵便局で定年を迎える年の春さき、三椏が色づき出したのを見て 「花がぜんぶ黄色くなるころにはフルタイム労働から解放されるんだな」 と、この花に黄色がひろがっていくのを見るのが毎朝たのしみだった。それが2015年のことだから、はや8年たつ。時がたつのは早いなあ。 酔流亭は定年を通過してから、週20時間に減った労働を一年だけ続けて、2016年に仕事から完全にリタイアした。 退職前に酔流亭が一労働者として向き合わざるをえなかったのは労働者の低賃金化である。 賃金を下げるといっても、正規雇用の労働者の賃金をあからさまに切り下げるわけではない。非正規雇用と言われる低賃金の時給制労働者を増やす、正規雇用の中にも時給制と変わらないような低賃金の労働者グループを作り出してしまう(いわゆる限定正社員。郵政では「新一般職」というかたちで2015年に導入された)。 そうした施策の根っこにあったのが1995年に日経連(現経団連)が打ち出した『新時代の日本的経営』と呼ばれる提言である。 昨日の東京新聞朝刊一面に、その『新時代の日本的経営』を作成した人からの聴き取りが載っている(上の写真)。 連合指導部も片棒を担いだことは、二面の高木剛・連合元会長からの聴き取りからも覗われる。 そうした結果としての日本の労働者の低賃金は、ごく一部のお金持ちを除く日本社会の全ての人々の生活を困窮させているのみならず、日本経済の足を引っ張っていることは下に貼り付ける山田久氏(日本総合研究所主席研究員)のレポートからも知られる。 どうも花よ春よと浮かれてはいられない。 ※2014年にHOWS講座で『限定正社員』問題について報告したとき「新時代の日本的経営」にも触れているので、その箇所を下に貼り付けます。 #
by suiryutei
| 2023-02-28 09:03
| ニュース・評論
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【いてんぜ通信】の今年春号を送っていただいた。3月1日付。 いつもありがとうございます。 この号に『豆腐で飲む』という文章を寄稿した。題名の通り、酒飲み話から始まるが、後半は1月末に入院するまでの近況報告である。 写真の下に全文を貼り付けます。 私と同姓の造り酒屋が群馬県にあると知ったのは三年前である。すなわち〔土田酒造〕。群馬県利根郡川場村で1907年から清酒を醸し、今日にいたる。 教えてくださったのは、友人のIさんだ。私より数歳の年長であるIさんは多彩な人生経験のあと新東京郵便局に職を得た。同郵便局で2016年まで働いていた私は、それで彼の知己となることができたのである。二人とも今や労働現場からはリタイアしている。しかし現在のほうが懇意の度合いはむしろ深まっていると思う。Iさんと飲む酒はじつに愉しい。数か月に一度、ほんの二~三時間のことだが。 「そろそろ飲みませんか?」 大抵は私のほうから声をかける。ところが三年前のそのときはIさんからだった。お連れ合いの実家は群馬で、里帰りした折り「あなたと同じ名前の蔵元の酒を入手した」ので、一緒に飲もう、と。 私たちが待ち合わせる場所は、いつも神田の万世橋である。神田川に架かるその橋のすぐ近くに旧国鉄万世橋駅の遺構がある。余談ながら中野重治『汽車の罐焚き』にこのあたりのことが出てくる場面がある。七章から成る中編小説の四章目だ。
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次ぎの日曜の朝私は省線水道橋駅へ降りた。鈴木君といつしょに鉄道博物館を見るためだった。しかし私の勘違いらしく、博物館はどこにも見つからなかった。 「鉄道博物館はここじゃないんですか。」 「いいえ。万世橋駅です。」と改札掛は答えた。 (略) ・・・万世までの切符を買うとき私はもう一度出札掛にきいた。 「鉄道博物館は万世橋にあるんですね?」 「そうです。博物館のなかに万世橋があるんです。」と彼は笑った、・・・
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汽車の罐焚きとは機関助手のことだ。機関手と組んで、燃料である石炭を蒸気機関車の罐にくべる。小説の書き手である「私」は、機関助手をやっていた「鈴木君」から国鉄の労働現場を取材している。機関車の実物を見たくなって、それが展示されている鉄道博物館に出かけていくのである。 『汽車の罐焚き』が書かれたのは1937年で、万世橋駅は1943年に廃業となった。鉄道博物館は戦後、交通博物館と名称を変え、首都圏に住む子どもたち、ことに男の子にとって憧れの場所だった。私も小学生のとき一度父親に連れて行ってもらったことがあるし、甥っ子が小学生のときは私が彼を連れて行った。2007年に埼玉県さいたま市に移動して名称をまた鉄道博物館に戻す。万世橋近くの跡地に今はJRのビルが建っている。旧万世橋駅遺構の赤レンガはJR中央線の高架になっていて、そのガード下が10年ほど前から【万世橋エキュート】というお洒落な商業施設に生まれ変わった。喫茶店やレストラン、雑貨店が入居している。 この赤煉瓦とJRビルの間の空間に腰を掛けられるところもある。いつも人があまりいない。今のところ穴場である。 Iさんが持ってきてくれた土田酒造の酒は、銘柄は【誉国光】という。落ち合うや、その山廃純米酒四合瓶をIさんはバッグからおもむろに取り出す。ガラスの酒杯に、肴として豆腐が醤油の小瓶とカツオブシと共に用意されている。 その三年前の小宴については私のブログの2020年1月25日更新記事に書いてある(https://suyiryutei.exblog.jp/29890929/)。 いま振り返れば、コロナ禍がこれから拡がっていく頃である。同月20日に横浜港を出港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号に乗船、コロナに感染した80代男性が香港で下船したのが同じ1月25日であった。 その当時はもちろん私もIさんもコロナ禍のその後の拡がりなんて知る由もない。屋外で誉国光の四合瓶をたちまち空にしてから、近くに暖簾を出している蕎麦の〔まつや〕に河岸を変えた。〔まつや〕の品書きにも豆腐がある。ミョウガ・ネギ・ショウガの薬味を添えた冷ややっこである。今度は菊正宗を熱燗で飲んだ。 もともと嫌いではなかった豆腐を私がいよいよ好きになっていったのは、どうやらこの日あたりからだ。 なお、中野重治『汽車の罐焚き』については〔A・Z通信〕から続く三上広昭さんの連載『労働者のいる風景』の第32回(本通信の創刊号掲載)でも触れられている。
万太郎と湯豆腐と赤貝
冷ややっこもいいけれど、寒い日の温かい豆腐は身も心も温まる。それで私は、今年の年賀ハガキにこんな短歌もどきを書きつけてしまった。
湯豆腐がいよいよ好きになってきた いのちのはてはまだ先だけど
言うまでもなく、久保田万太郎の俳句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」に寄りかかった呟きである。ところが、この俳句の達人の「命の果て」は、豆腐ならぬ意外なところからやってきた。1963年、万太郎が74歳で急逝したとき、同郷の文士・石川淳が彼を追悼した一文『わが万太郎』から冒頭を引こう。
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すききらひを押し通すにも、油断はいのちとりのやうである。好むものではないすしの、ふだん手を出そうともしないなんとか貝なんぞと、いかにその場の行きがかりとはいへ、ウソにも付き合はうといふ愛嬌を見せることはなかった。いいえ、いただきません、きらひです。それで立派に通ったものを、うかうかと・・・このひとにして、魔がさしたといふのだらう。ぽっくり、じつにあつけなく、わたしにとつてはただ一人の同郷浅草の先輩、久保田万太郎は地上から消えた。どうしたんです、久保田さん。久保勘さんのむすこさんの、ぶしつけながら、久保万さん。御当人のちかごろの句に、湯豆腐やいのちのはてのうすあかり。その豆腐に、これもお好みのトンカツ一丁。酒はけつかうそれでいける。もとより仕事はいける。ウニのコノワタのと小ざかしいやつの世話にはならない。元来さういふ気合のひとであつた。・・・
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文中「なんとか貝」とあるのは赤貝のことだ。画家の梅原龍三郎邸での宴席に招かれ、赤貝の握り寿司を勧められた。万太郎はナマモノを苦手としていて普段は貝の寿司なんて食べることはなかったのに、その日はどうしたことかそれを口にして誤嚥、窒息死してしまったのである。 さて私は年賀ハガキの下書きをしたところで(清書と印刷はいつも連れ合いがパソコンでやってくれる)、腸捻転をまた発症してしまった。またというのは、一昨年(2021年)の9月に初めて罹患してから、去年8月に再発させているのである。再発まで一年もたなかったのだが、今度は年末のことだから四か月も経っていない。間隔が縮まってしまった。しかも、12月16日に内視鏡による整復治療を受けたのに、翌日また捻じれた。その日は土曜日で異状を自覚したのは夕方になってから。もう病院に行く時刻ではないし、次の日は日曜で病院は休診だ。日曜、寝に就くときは正直こわかった。お腹はいよいよ張る。疼痛が下腹部から間歇的に襲ってくる。寝ているあいだに腸が破裂したらどうしよう。だから月曜の朝、寝床の中でお腹を手でさすって、さらに膨らんできているが破裂はまだしていないのを確認したときは、ホッとした。朝いちばんに連れ合いの運転で病院に駆け込んで、またも内視鏡で整復してもらう。それが12月19日である。 腸が捻じれると、腸の中にガスが発生しやすく、かつ出口を失う。どんどん溜まっていく。それで、いま述べたようにお腹がパンパンに膨れていく。肛門から内視鏡を入れて捻じれを整復すれば、そのガスがすうっと抜けていく。膨らんでいるあいだ苦しいだけに、それは快感でもあるのだが、わが腹の様はゴム風船から空気が抜けて萎んでいくみたいである。いっぽうガスが溜まってお腹が張っているときに入浴すると、湯ぶねの中で身体が浮く。浮力がついてしまって底に腰を落とすのに難儀する。ゴムボートみたいだ。風船であれゴムボートであれ、萎んだり膨らんだり、こんなことが繰り返されるのではかなわない。 それで、手術を受けて、腸の捻じれやすい部分を切除してもらうことにした。整復治療を施してくれた病院の紹介状を持って、隣りの市にある大きな大学附属病院に行った。12月20日、暮れの総合病院は混んでいて、朝から日が暮れるまで一日がかりで、ともかく入院→手術までのスケジュールが決まった。手術室が空くのは最短で1月末だという。コロナ感染がもう第8波だ。一般医療もひっ迫しているのだろう。
斉藤幸平の新著
入院はまだ先だが、この機会に胃のほうも検査しておきましょうという提案が主治医からあり、1月19日に胃カメラ検査を受けた。午前に検査を受けるから朝食は食べられない。いつもなら朝食を摂る時間に、空腹をまぎらわすため『伝送便』2月号への寄稿を書くことにした。マルクスを掲げて売り出し中の若手論者・斉藤幸平の新著が1月10日に出たばかり。それへの書評めいた文章を書いた。朝メシ前で仕上げたと虚勢を張りたいところだけれど、その実は朝メシ前ならぬ朝メシ抜き、食べるのを忘れるためであった。 先に中野重治と石川淳の文章を引いたあとで我が駄文を開陳するのは身が縮む。しかし勇を鼓して全文を紹介しよう。
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書評『ゼロからの「資本論」』(斉藤幸平著、NHK出版新書)税込み1023円
気鋭の論者による新著である。まず目を惹かれるのは「疎外」という概念が論じられていることだ。 「資本主義は膨大な富をもたらしたように見えるけれど、私たちの生活にはむしろ余裕がなくなっている。その結果、欲求や感性は瘦せ細って貧しいものになっています。一八〇年前、二〇代半ばの若きマルクスは、この状態を<労働の疎外>と呼びました」(九二ページ)。 そして著者はこの<疎外>の原因を資本の専制による「構想」と「実行」の分離に求める。つまり「構想」は特定の資本家や現場監督が独占し、労働者は「実行」のみを担わされるわけだ。 私は郵便労働者として四〇年以上「実行」ばかり担わされてきたから、単調な労働の苦痛は著者以上に身に染みているつもりだが、著者の説明にはちょっと違和感を持つ。なるほどそうした精神的労働と肉体的労働の分離も疎外であるには違いない。しかし、労働者が疎外感を覚える第一は、自らの中身を資本に吸い取られていく(搾取される)そのこと自体ではなかろうか。マルクスの盟友エンゲルスを著者はマルクスより一段格落ちに見たがるけれども、エンゲルス不朽の名著『イギリスにおける労働者階級の状態』がまず明らかにしたのもこのことだ。私の場合で言えば、「構想」から排除されて「実行」ばかりやらされたことよりも、深夜不眠の労働で自分の健康が目に見えて磨り潰されていったことだ。著者はせっかく別のところでは「資本主義の本質は、商品の等価交換の裏に潜んでいる、労働者の搾取による剰余価値生産にあります」(一六七ページ)と問題を正しくとらえているのに、こと疎外については的を外しているように思う。 六つの章から成るうち第五章は「グッバイ・レーニン!」となっている。といってもレーニンの思想について論じているわけではない。マルクスを称賛するとソ連を賛美しているのかと誤解される。それが嫌だということである。先に疎外をもっぱら「構想」と「実行」との分離によるとしたのも、官僚が牛耳った社会主義国の国営企業も労働者を疎外する点では同じだと言いたいための伏線であったろうか。国有と共有とを二項対立させて前者を退けるのは、歴史感覚を欠いた議論であるように思う。日本を含む列強による干渉戦争で締め殺されかけた革命後のロシアが、また独ソ戦という絶滅戦争を仕かけられて二七〇〇万人とも言われる途方もない死者を出した第二次大戦後のソ連が、国有段階を飛ばしてただちに共有に進む余力がありえたかと私などは思う。もっともそのため様々な歪みが生まれたのは直視しなければならないが。 著者が言いたいのは、国有状態(国家資本主義)を固定して共有(コミュニズム)へ進むことを阻む勢力が現存した社会主義国内部にはいたということだろう。それはあったと私も思う。ただ、レーニンをあっさり切り捨てるのではなく、彼の苦闘にもっと思いを致してほしかった。いっぽうグローバル・サウスからの収奪と裏腹の福祉国家論やBI(ベーシックインカム)への著者の批判にはうなずいた。
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思えば、20歳から40年余の郵便労働者生活のあいだ「深夜不眠の労働で自分の健康が目に見えて磨り潰されていったこと」の結果、今この年齢(私は今年1月に68歳になった)になって腸がしばしば捻じれるのかもしれない。 1月24日、病院で麻酔科医と主治医と面談した。麻酔科医はなかなか美人の女医さんである。私はこれまで麻酔というのは歯の治療のとき歯茎に打たれた経験しかない。今度は全身麻酔である。それは自然に寝ているのとは違う。患者の自発呼吸は停止するのである。だから麻酔科医は強制的に患者の肺に酸素を送り込む。手術が何時間かかろうとそのあいだ傍を離れることはないと医師は言う。順調にいけば手術時間は3時間ほどということだ。 主治医は壮年の男性である。わが腹の中がどうなっているのか明晰に説明してくれる。まず先日の胃カメラ検査の結果は悪くないようであった。胃にポリープがあるが良性だ。問題は大腸である。直腸より上のところにあるS状結腸というのが捻じれる。私のそれは、パンツのゴムが伸びきったような状態だという。その部分を切除するのが今回の手術の目的だ。 翌25日、PCR検査を受けた。綿棒をもっと細くしたようなもので鼻の奥をグリッとやられる。労働者文学会の会員仲間の黄英治(ファン・ヨンチ)さんがこれはけっこう痛いと〔通信・労働者文学〕にだったかな、書かれていたと記憶する。たしかに痛くて、私はよほど顔をしかめたのだろう。横にいた女性看護師が「痛いですよね」と同情してくれた。前、まだ現役の郵便労働者だったとき職場の健康診断で採血のため注射を打たれて思わず目をつむったら「そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ」と保健師さんに言われたのを思い出す。子どもがあやされるようなものだ。 それはともかく、この検査で引っかかったら手術の日程も飛んでしまう。内心ヒヤヒヤだった。今これを書いているのは1月26日だ。PCR検査の結果が陽性の場合だけ電話で連絡があるという、その連絡がまだ来ていないから、大丈夫なのだろう。このままいけば28日に入院、手術を受けるのは30日の予定である。いよいよというか、ようやく迫ってきた。この原稿は、あと数行書いて仕上げて、三上さんに送稿するつもり。 冒頭に登場したIさんは土田酒造の誉国光をもう仕入れてあるという。私が快癒したら一緒に飲もうと言ってくれた。肴はもちろん豆腐。じつは私のような病気には豆腐が一番いい食べ物である。栄養価が高くて消化がよい。ありがたい祝い酒になるはずだ。 ![]()
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by suiryutei
| 2023-02-27 08:18
| 文学・書評
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