|
新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
酔流亭が暮らす関東地方平野部では正月の三が日に雪が降るなんてことは滅多にないから驚いた。昨日の夜7時ごろの写真である。 まだ降り始めたばかりであったから、今朝はもっと雪がかぶっている。天気は快復して、5時過ぎ、朝刊を取りに出たときは星がきれいだった。 室内に戻ってから、あ、そろそろ満月だなと気づいたけれど、また外に出て月の位置を確認する元気がない。なにしろ寒いんだ。 しかし、今朝の5時は、太陽がまだ出ていなくとも割りあい明るかった。雪と星と月のせいだろう。いまネットで調べたら、今年最初の満月は今日である。今夜は忘れずに月を見よう。 ところで今年の箱根駅伝往路は面白かった。トップがほどよく替わっていく。早稲田の4区と5区のランナーもよく走ったけれど、青山学院の5区のランナーが速すぎた。今朝、箱根山中の雪の残り具合はどうだろう? いま午前6時半。夜が明け始めている。 #
by suiryutei
| 2026-01-03 06:30
| 身辺雑記・自然
|
Comments(0)
昨日の元旦は、旧臘29日の更新記事に予告したように、歌人・永田和弘氏の一年前に倣った。 「朝に飲み昼すこし飲み夜を飲む」 元旦くらいは「まあいいだろう」。 そんなふうに朝酒をやっているとき連れ合いからお年玉をいただく。 ありがたいことである。 ありがたい、といえば、【デジタル労働者文学】第3号のプリントアウト版が大晦日に届いた。もちろん労働者文学会の発行。 その全作品はインターネットで1月1日付けで公開されている。デジタルとあるように、むしろネット上が本土俵である。どなたでもアクセスできますので、お時間があるとき目を通していただけると嬉しい。 〔Web編集委員・後記〕のうち酔流亭執筆のものだけ転写しておきます。これとは別に寄稿作はまた後日に紹介します。 去年読んで印象に残った本の一冊は『ジェイムズ』という小説だ。2024年の作品だが、日本では去年6月、河出書房新社から出た。作者パーシヴァル・エヴェレットは1956年生まれのアフリカ系米国人というから、今年古希を迎えるわけだ。筆致が若々しいのは同世代(55年生まれ)の私として嬉しい。マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』のスピンオフ(番外編)のような。すなわち『ハック・・』における少年の相棒であった黒人逃亡奴隷ジムがここでは主人公であり、語り手である。重要なのは、逃避行の途中で彼が手に入れる鉛筆だ。たった一本の鉛筆をジムに渡したために、黒人奴隷ヤング・ジョージは「主人の持ち物をくすねた」廉で鞭打たれ、吊るされ(縛り首にされ)る。小説が結末を迎えた後、ジェイムズはその鉛筆で書き始めるだろう。こんな理不尽な差別と闘うために。書くことの意味を教えてくれる一冊である。 ※小説『ジェイムズ』について、もう少し詳しくは、この更新記事に。 #
by suiryutei
| 2026-01-02 07:06
| 文学・書評
|
Comments(0)
皆さま、明けましておめでとうございます。 酔流亭の今年の年賀状は、これです。 わが庭の柚子は今年も一つだけ そのひとつがね愛おしいのさ なんて短歌らしきものをまず書きつけてあります。 ところが、庭に生った柚子の実は一つだけではありませんでした。12月の20日も過ぎ、年賀はがきの印刷をすませたころに庭の手入れをしてもらいました。柚子の木も庭師さんが伸びきった枝を切ってくれる。すると、葉に隠れていた柚子の実が三つ出てきて、合わせて四つになりました。 まあ、無いと思っていたのが出て来たのだから、おめでたいし、いいだろうと、年賀状はそのまま投函しました。 ともあれ今年もよろしくおねがいします。
#
by suiryutei
| 2026-01-01 04:59
| 身辺雑記・自然
|
Comments(6)
雑誌『言論空間』に書いたハン・ガン著『別れを告げない』の書評を転写します。 同誌への寄稿は初めて。同誌の発行元は認定NPO現代の理論・社会フォーラムということです。 これが2025年最後の更新になるはずです。『別れを告げない』は、27日の更新記事にも書いたように、今年読んだ本の中でもことに感銘が深かった一冊なので、その作品についての文章で一年を締めくくることができるのを嬉しく思います。 ![]() 切断された指を縫合するには、血が固まって神経が腐ってしまわないように3分に一度の割で傷口を針で刺して出血させ続けないといけない。それを3週間続ける。こういう治療法が本当にあるなら(あるらしいが)それで切断された指が元通りになるとしても、3週間というものは耐えがたく痛いだろう。じっさいインソンは激痛に耐えている。 なんとも読むのが辛い場面であって、ここで本を放り出してしまう人もいるのではないか。私もそうしかけた。それでも読み続けたのは、『少年が来る』を書いた人のその後の作品を読まないわけにはいかないなという義務感みたいなものからだ。 自分が気絶して入院したことで家に置き去りになったインコの世話を、というインソンの頼みを聞いて、キョンハは済州島に向かう。冬の済州島は大変な悪天候で、雪と風によってバスの多くは運休、タクシーも走らない。道順をうろ覚えだったインソンの家に、僅かに動くバスを乗り継ぎ雪道を歩いてたどり着くまでのキョンハの苦労がまた一通りではない。インソンの家は、村から離れたところにある一軒家。途中、涸れた川に滑り落ちていっとき意識を失ったりして、ようやく到着したとき、無人の家の鳥籠の中で水と餌の補充がされずに二日間を過ごしたインコは寿命が尽きていた。籠に飼われた鳥は毎日世話をされないと長くは生きられないらしい。 しかし、韓国の現代史において闇の中に置かれてきた済州島4.3事件に近づいていくには、語り口のとっつきにくさ、晦渋さが、どうしても必要であったのだろう。 4.3事件とは何か 済州島は朝鮮半島の南方80㎞先の海上にある。事件は1948年、米軍政下で、すなわち第二次大戦後進駐してきたアメリカ軍の使嗾と黙認のもとで、韓国軍兵士・警察・民間右翼によって行われた住民大量虐殺である。この小説ではおそらく2003年に出た〔真相調査報告書〕に従って犠牲者数を2万5千~3万人としているが、1988年に東京で開催された〔四・三事件四〇周年追悼記念講演会〕では7万~8万人が殺されたとする発言者が多い。ともかく当時人口が30万人たらずだった島で恐るべきジェノサイドが引き起こされたのである。島民の一部が蜂起して警察支所や右翼団体事務所を襲い、14名の犠牲者が出たことが事件の端緒で(蜂起した日が4月3日)、それを逆手にとって米軍政や政府に抵抗する人びとを、そうでない人びとも巻き込んで皆殺しにしようとしたのは、現在ガザでイスラエル軍がやっていることを思わせる。 さてインソンは元々写真家であった。キョンハと出会った初めは仕事上のパートナーとして。雑誌などの取材でキョンハは文章を書き、それに付ける写真をインソンが撮影した。しかしインソンは写真家としての仕事の他に記録映画も制作していた。 「大学で写真を専攻したインソンは20代後半からドキュメンタリー映画に関心を持ち、生計の助けにならないその仕事を粘り強く10年続けた。もちろん、稼ぎになる撮影の仕事も手あたり次第にやっていたが、収入があるたび自分自身の仕事につぎ込むので、いつも貧乏していた」(30ページ)。 そのようにしてこれまでに作った映画は3本。 最初に撮ったのは、ベトナム戦争に派兵された韓国軍が現地で手を染めた性暴力事件のサバイバーたちへのインタビューだ。 つぎは「1940年代の満州で朝鮮独立軍に入って活動していたという、ある認知症のおばあさんの日常を扱ったものだった」(31ページ)。この「1940年代の満州で朝鮮独立軍」とは、作中ではそう表現はされていないが<抗日パルチザン>のことではないか。それを指導したとされる金日成が朝鮮の共和国のほうでは神格化されているので韓国では触れるのがなかなか難しいのではないかと推測するが、インソンの、そしてそういう人としてインソンを造形した作者ハン・ガンの視野の広さが覗われる。最初のベトナムでの性暴力は、自国の 加害の歴史にも目を背けない、ということであろう。 3本目でインソンは自身を取材対象として済州島4.3事件に迫っていく。彼女の両親は4.3事件のサバイバーだったのだ。 こうして4.3事件が語られていく。事件に生き残った人が自分の見聞きしたことについて重い口を開く、その語り口に似ている語調を前に目にした気がするなあと思い当たるのは、目取真俊の小説だ。たとえば『眼の奥の森』(2017年刊)において、幼友達の小夜子を強姦した米兵士たちに向かって独りで復讐に立ち上がった少年セイジが、老いてからも心の中で小夜子に向けて呼びかける島言葉(しまくとぅば)。「我は今も(わんやなまん)お前(いやーが)のことを思っておるよ(うむていうんど)」(目取真『眼の奥の森』120ページ)等々。 それもそのはずで、『別れを告げない』の斎藤真理子による訳者あとがきによれば、済州島の言葉は標準韓国語と大きく異なっているので、「・・朝鮮語の古層が残っているともいわれる済州語を生かして訳すにはどうすればよいか」(323ページ)思いあぐねた挙句「力を借りるとしたら、済州島との共通点も多く、自分もかつて四年暮らした沖縄の言葉以外思いつかなかった」(同)ということである。 言葉のことだけではなく、<暴力に抗う>という根本的テーマにおいてハン・ガンの文学と目取真俊のそれは共通するところがあるように思う。 なお、原書ではハン・ガンは、済州語をそのまま用いては本土の読者に理解できないので、可読性を損なわないよう本土の言葉と済州島のそれとの「中間点に収まるよう」に配慮したという。こういう配慮は目取真俊も沖縄でも周縁の地域での言葉で会話体を作るときに行なうと、ご本人がどこかで語っていたと記憶する。 その暴力は日本が持ちこんだ 斉藤真理子の訳者あとがきには大事なことがたくさん書かれている。第二次大戦末期、沖縄戦のあと日本軍は済州島をアメリカ軍との最終決戦の地と定め、将兵8万人が結集できる巨大軍事要塞化を進めた。日本の降伏が早まったために間一髪、玉砕の島になることを免れた。そんなことも訳者あとがきを読んで私は初めて知った。沖縄に続く凄惨な戦場になっていたかもしれないのである。 光州事件を題材にした作品を書いた小説家として造形されているキョンハが作者ハン・ガンの分身であることは言うまでもない。インソンもまたハン・ガンの分身である。『少年が来る』を書いた後、暴力はあのときだけ光州だけで行使されたのではないと4.3事件に向かって行ったハン・ガンと、母親が遺した資料を手探りしながら同事件と向き合うインソンとは重なり合う。同い年のキョンハとインソンは1970年生まれの作者ハン・ガンと同世代であり、物語が進行するのは2018年の暮れである。 後半、キョンハが訪ねて行った済州島のインソンの家に、そのときソウルの病院で激痛に耐えているはずのインソンが現れる。手遅れで死んだインコも生き返って。これはいわゆるマジック・リアリズムという創作法なのだろう。現実には起こりえないことを叙述することを通じて、しかし本質的なものが提示されていく。 先に、1988年に東京で開催された事件40周年追悼記念講演会に触れた。同集会を記録する『済州島「四・三事件」とは何か』(新幹社)の後半に収録されている座談会で、講演会では結びの辞を述べた玄光洙氏(当時、済州島4.3事件を考える会代表)は、世界の歴史の中でもこれほどの残虐行為はなかったのではないかと痛憤する。その暴力性は日本帝国主義が持ち込んだものではないか。たとえば第二次世界大戦において日本軍が進駐したフィリピンで行なった虐殺はすさまじい。東京裁判に出廷したマニラ生まれの女性は、舌を抜き、爪をはがし、耳、鼻を切り落とす等の残虐行為を証言した。『少年が来る』に描かれていた、光州事件参加者への拷問は、かつて日本の特高警察が朝鮮独立運動の闘士たちに対して行なったそれを思わせる。『別れを告げない』にも「日帝時代に特高刑事だった裏切り者がそのまま居残って解放前と同じような拷問をやっている」という記述がある(197ページ)。 ハン・ガンは日本の過去には触れていないけれども、私たちはそんな歴史を重く受け止めなければならないと思う。 ![]() 雑誌『言論空間』の上は表紙、下は目次の一部。 ![]() 季刊『言論空間』2026冬号 | NPO現代の理論・社会フォーラム ![]()
#
by suiryutei
| 2025-12-31 06:44
| 文学・書評
|
Comments(0)
『伝送便』の2026年1月号が昨日完成、発送も行なったので、同号に寄稿した『レーダー照射と「台湾有事」』という文章をここに転写します。 文中、11月7日の高市発言を「去年11月7日」、12月6日に起きた中国機による空自機へのレーダー照射は「去年12月6日」というふうに表記してあるのは、掲載誌の発行が26年の1月1日付けになっているためです。ご了解ください。 午前二時の臨時記者会見 スクランブル(緊急発進)をかけた空自機に中国軍機がレーダー照射で応じたのは去年一二月六日午後のことであった。それを最初に明らかにしたのは小泉進次郎・防衛相で、翌七日の午前二時に臨時記者会見を行って発表した。 八日の朝刊に、中国軍機の母艦である空母〔遼寧〕の当時の航路が図示されている。太平洋に向かって沖縄本島と宮古島の間(宮古海峡)を抜けていった先の上空でトラブルは起こった。 ![]() その国の海岸線から最大約二二・二㌔までが領海で、その上空までが領空だ。図を見ると、トラブルが起きたのは日本の領空からはだいぶ距離のある公海上空であることが覗われる。事実「防衛省によると・・中国軍機による領空侵犯は発生しなかったという」(朝日新聞八日付朝刊一面記事)。 自衛隊機のスクランブルは、領空侵犯に対応して行なわれる。今回のトラブルも「防衛省によると、・・演習中の中国海軍空母〔遼寧〕から発艦したJ15戦闘機が、領空侵犯に備えて緊急発進(スクランブル)で対応した航空自衛隊F15戦闘機に対し、レーダー照射を断続的に行なった」(同)というものである。 すると、なるほど「パイロットにとっては、拳銃の引き金に指をかけられたような」(同二面記事)危険なものであるにしても、それに先行する自衛隊機のスクランブルもいささか過剰な対応だったのではなかろうか。 同記事は「ある政府関係者は<普通に飛んでいた自衛隊機に突然レーダーが照射されたという事案ではない>と語り、冷静な対応が必要だと語った」とも伝える。 一〇日の朝刊になると「中国軍機と自衛隊機との距離は一回目は約五〇㌔、二回目は少なくとも約一〇〇㌔以上あり、高度差もあったことがわかった」ということである。「対外公表には主に自衛隊制服組から<危険度合いとしてはそこまで高くなく、必要なのか>という意見が出たという」(朝日新聞一〇日付朝刊三面)。 小泉進次郎・防衛相の午前二時(真夜中ではないか!)の臨時記者会見は、ポーズばかり気にする世襲政治家のから騒ぎであったようだ。しかし、そういうくだらないことが契機となって戦争が起きる場合もある。元々の根は、高市早苗首相が「台湾有事」に武力介入する可能性を示唆したことが日中の緊張を激化させてしまったことだ。 日中共同声明の立場 その高市首相発言は一一月七日の衆院予算委員会で飛び出した。これを批判する人たち(私もその一人のつもり)の間で、ちょっと気を付けなければならないと思うのは、一九七二年の日中共同声明において<日本は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを尊重すると約束した>とする理解だ。これだと、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であると、日本も認識したかのようにも読める。 しかし、日中共同声明のその箇所は、正確には、こうであった。 <中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府はこの中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項にもとづく立場を堅持する。> つまり<台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であること>を日本政府(当時は田中角栄政権)はストレートに認めたのではなく、中国がそういう立場であることを<十分理解し、尊重>するとしたのだ。 事前の交渉では、中国側はそれに納得しなかった。そこで日本側が補足したのが後段の<ポツダム宣言第八項にもとづく立場を堅持する。>という文言である。ポツダム宣言第八項には<カイロ宣言ノ条項ハ履行セラレルベク>とある。一九四三年一二月に米英中三国首脳によって発出されたカイロ宣言は、台湾・澎湖諸島は中華民国(当時)に返還することが対日戦争の目的の一つとしていた。中華人民共和国が中国を代表する唯一の正統政府と認めるのであれば、カイロ宣言に言う<中華民国>とは、中華人民共和国が継承した中国である。国際法は一つの国を代表する政府は一つとしており、日本もアメリカも一つの中国=中華人民共和国が中国を代表すると認めている。 したがってカイロ宣言を承けたポツダム宣言第八項にもとづく立場とは、中国すなわち中華人民共和国への台湾の返還を認めるとする立場を意味する。具体的には台湾独立を支持しないということだ。 これを中国は受け入れて日中共同声明は成立した。 今回の高市発言は、先人たちのそうした配慮や合意への苦労などどこ吹く風であった。それに怒った中国の大阪総領事が「汚い首を切ってやる」とXに投稿した(現在は削除されている)ことが騒ぎになった。たしかに乱暴な表現ではあったけれど、首を突っ込んでくるべきではない者がそれをやったなら、それくらいの反撥は返ってくる。争いの種を先に蒔いたことを棚に上げて話をすりかえてはならない。 集団的自衛さえ踏み外す 高市発言のもう一つの大問題はアメリカをすっ飛ばしていることだ。彼女が口走った「存立危機事態」とは<日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃>を要件としており、その<他国>とはもちろんアメリカ。いっぽう台湾は、日本が<一つの中国>を受け入れている以上、日本政府にとって<国>ではない。<日本と密接な関係にある他国>ではない。そもそも集団的自衛権の国際法上の根拠規定は国連憲章五一条で、国連加盟国に対して武力攻撃が発生することが前提条件だ。台湾は国連加盟国ではない。中国とアメリカが武力衝突でも起こさなければ<我が国の存立危機事態>にはなりえないのである。 ところが高市首相は、アメリカの名は口に出さず、つまり米中関係がどうであれ、日本単独でも武力介入の可能性を口にしたのである。中国から見れば、日本が先頭に立って突っかかってくるという宣言であろう。アジアにおけるイスラエルの役割りを引き受けるつもりであろうか。 高市総理が無知で浅はかであると嘲ってすむ話ではない。「対中武力行使の行き着く先は、かつて侵略した中国と再度、正当性のない、地獄の戦争を続けるという事態に至ることを意味する」(元内閣法制局長官、宮崎礼壱氏。朝日新聞一二月四日朝刊)。 集団的自衛権に踏み込んだ安保法制(二〇一五年成立)さえ踏み外した高市発言は撤回しかない。そうして、こんな危ない使い方をされる安保法制も撤廃させよう。 ![]() #
by suiryutei
| 2025-12-30 08:45
| ニュース・評論
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||