新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日、ことし初めて都内に行った。 上野駅から歩いて上野公園を覗くと、不忍池畔の桜がもう咲いている。 外神田にある『伝送便』事務所に寄った。土曜の午前だから、まだ誰もいない。去年11月末に『伝送便』誌12月号の編集作業に参加したのを最後に、ずっとご無沙汰していた。 それから御徒町まで戻って喫茶店〔ラパン〕で昼食をとった。前に2~3度入ったことのある店で、コーヒーもパンも美味いことは知っている。 ブレンドに野菜のサンドイッチ。サンドイッチはミニの皿もあるのが一人カフェ客にはありがたい。その一切れを頬張ってから写真を撮ることを思いついた。 それから湯島を越えて本郷へ。HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)の講座に参加した。ここへ来るのもことし初めてだ。内容は中野重治の小説『汽車の罐焚き』をテキストにした読書会である。 田代ゆきさんの報告はテキストを丁寧に読み込んだ上、当時の中野が置かれていた状況にも目配りした周到なものであった。下の写真は報告レジメの冒頭部分だ。 参考までに酔流亭が10年前『汽車の罐焚き』を初めて読んだときの感想を書いた過去記事を貼り付けておく。昨日、報告の後の討論でも似たようなことをしゃべった。 一緒に講座に参加した墨田のカッパさんは記録映画『ある機関助士』(土本典昭監督、1963年)について言及した。昨日の更新記事に書いたように、この秀作が『汽車の罐焚き』の影響を受けていること、いまユーチューブで視られることを酔流亭は墨田のカッパさんから教えていただいた。 さて講座の後のお楽しみだ。本郷から万世橋へと下っていって、蕎麦の神田〔まつや〕へ。墨田のカッパさんも付き合ってくれる。なお旧国鉄の万世橋駅のあたりは『汽車の罐焚き』の中にちらりと登場する(第4章)。 〔まつや〕の暖簾の横に梅が咲いていた。 燗の徳利2本をカッパさんとゆっくり飲む。一人一合なら、まあいいだろう・・と言いつつ、酔流亭のほうが多く飲んだが。肴は焼き鳥と冷やし豆腐。〆はかけにして、カッパさんは蕎麦、酔流亭は饂飩。 店の人たちは酔流亭がいま病身であるのを知っている。いつも以上の笑顔が本当にありがたい。
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by suiryutei
| 2023-02-26 09:04
| 身辺雑記・自然
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土本典昭監督の記録映画『ある機関助士』をユーチューブで視ることができると<墨田のカッパ>さんが教えてくれた。 カッパさんはまた「ナレーションが中野のこの作品の影響を受けていると感じました」とも。 <中野のこの作品>とは中野重治の短編小説『汽車の罐焚き』のことである。罐焚き(かまたき)とは蒸気機関車の機関助士のことだ。運転する機関士の横で機関車の燃料である石炭を罐にくべる。 カッパさんが言う通りだ。 『汽車の罐焚き』は1937年、『ある機関助士』は1963年の作品だから、両者の間の時間的隔たりは約四半世紀。中野重治(1902-1979)と土本典昭(1928-2008)の年齢差と同じだ。ということは、中野が『汽車の罐焚き』を書いたのと同じ年齢(35歳)のとき土本は『ある機関助士』を撮ったわけだ。 いや年齢のことなんてどうでもいい。重要なのは二人の芸術上のまた思想上の継承関係である。中野の文学はジャンルを越えて土本の映画に受け継がれていったのだと思う。 今日のHOWS講座は『汽車の罐焚き』をテキストにした読書会である(報告者は田代ゆきさん)。酔流亭は参加する。病気療養中の身だから通院以外ではずっと巣篭っていたけれど、今年初めて江戸川を渡って都内に行く。
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by suiryutei
| 2023-02-25 06:20
| 映画・TV
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ロシアがウクライナに軍事侵攻して一年がたった。下の写真は今日の東京新聞朝刊の一面だ。 ロシアを悪の権化とだけ描き出す論調が一方にあり、それへの反発だろうがロシアの侵攻への批判を「西側帝国主義」に踊らされたとしか理解しない論調が他方にある。どちらも謬見だと酔流亭は思う。 この一年間、教えられるところがあったのは、〔憂慮する歴史家の会〕や伊勢崎賢治氏や水島朝穂氏らの発信であった。 憂慮する歴史家の会のHPは 伊勢崎賢治氏の発言はたとえば 水島朝穂氏のHPは 酔流亭自身のこれまでの発信で一番まとまっているのは【いてんぜ通信】去年夏号に寄稿した、この文章であろうか。去年のメーデー前日に書き上げた。 改めて思うのは、上掲記事の終わりにも触れたが、チェルヌイシェフスキーらロシア革命的民主主義者たちの思想に学ぶことである。一年前の侵攻直前プーチンがTV演説でレーニンの民族自決権擁護を攻撃したことに、その思いを深くする。レーニンの民族自決権擁護こそはチェルヌイシェフスキーの民主主義思想を継承発展させたものだからだ。 ![]() #
by suiryutei
| 2023-02-24 08:53
| ニュース・評論
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このブログへの訪問者数が一昨日の夕方あたりから妙に増えている。昨日の朝刊に載っていたこの週刊誌広告を見て原因がわかった。 〔週刊文春〕の広告だ。『おひとりさまの教祖 上野千鶴子が入籍していた』とあって、「・・2年前、彼女は、ある男性を介護の末、看取る。<結婚という制度がイヤ>と公言してきた上野は、彼と密かに」・・ 上の写真はここで切れているけれども、あとは「入籍していた。」と続きます。 ここに出てくる「ある男性」が歴史家・色川大吉さん(2021年9月没)であるのは、民衆史に関心のある人や市民運動をやっている人の間ではよく知られたこと。何を今さら週刊誌ネタかよ、という話だが、〔週刊文春]系読者の多くにとっては知らない世界のことなのだろう。 で、色川大吉って何者?と関心を持たれた方が、この酔流亭ブログの色川さんに触れた過去記事にまで来てくださったらしい。過去記事で一番アクセスが来ているのはこの記事だ。2008年7月の更新。 ![]() せっかくだから、酔流亭としては別のこの文章も読んでほしいところだ。色川さんの教え子さんたちが運営している市民サークルが2010年12月に発行した冊子に寄稿したものです。写真の下に全文を写しておきます。なんだか文春砲に便乗するみたいですが・・。 ![]() 色川大吉さんの講演を私が初めて聴いたのは1975年初秋のことだから、35年前。色川さんはちょうど50歳、なにかの市民講座であった。演目はもう忘れてしまったけれど3人いた講師の中で色川さんの名前だけ記憶に残っているのは話が一番おもしろかったからだろう。そのとき私は20歳だった。通っていた大学に退学届けを出し、郵便局(現在の郵便事業会社)の採用試験を受けた後で、もう学生でもなければまだ社会人にもなっていない、ポッカリ空いた時期。大学を中途退学したのは経済的理由が主だけれども「人民の中へ!」という気分もまったく無かったわけではない。1970年代というのはそうした時代である。 その年の秋から働き出した郵便の労働現場で、私はじきに労働組合の活動に没頭するようになる。活動するときこそ本当は勉強しなければならないのだが日々の活動に追われて歴史の本を開くことはなかった。ところが時が流れ、労働運動の状況が変わってくる。郵便の労働組合といえば、かつては国鉄のそれとともにストライキを含む職場からの闘争をやったものだけれど、労働者の権利を守るより事業の利益をあげるのが大事とする労使協調路線が頭をもたげてきた。御用労組化である。その流れに抗したい。では、どうすればよいか。自分の立ち位置を確認することを迫られた。学ばなければならぬ。そのとき思い出したのが色川大吉という歴史家の存在である。著作をむさぼり読んだ。『近代国家の出発』における、明治10年代の豪農民権家たちの姿がことに印象に残った。労働運動もあのように闘いたい。同書中に紹介されている細野喜代四郎の詩稿には今も魅了される。色川さんをしてあのような生き生きとした叙述を可能ならしめたのは、戦後の一時期ご自身が栃木の山村で活動されたからだろうと得心したのは『昭和自分史』の第一冊目『廃墟に立つ』を読んだときだが、これはずっとのちのこと。 ともあれ、そうして私は2003年に行われた中野サンプラザでの色川大吉講演会に引き寄せられていった。『フォーラム色川』の人たちとの付き合いはここから始まる。 #
by suiryutei
| 2023-02-23 08:54
| ニュース・評論
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一昨日の午後はヘンな天気だった。朝から青空だったのが、夕方になると厚い雲に覆われ出した。 日暮れてから雷が鳴った。冬の雷は我が家のあたり(関東地方の平野部)では珍しい。北陸なら<鰤起こし>かな、などと思う。日本海で鰤漁が盛期を迎える冬に鳴る雷をそう呼ぶと聞いたことがある。もっとも、いまネットで調べると、<鰤起こし>の季節は正確には冬は冬でも初冬、12月ごろらしい。今は2月下旬である。冬も先が見えている。 もう10年以上前、飛騨古川に行く途中に富山県の氷見に立ち寄ったことがある。寒ブリの頃で、泊まった民宿の夕食では鰤の刺身や塩焼きを堪能した。雪が降っていて雷が鳴った。あれが本物の<鰤起こし>だったろう。 さて雷の音が遠くなってから、今度は消防車のサイレンの音だ。それが我が家の近くで止まった。 近所で火事である。我が家から100mほどのところだ。火で夜空が赤くなり、煙が流れる。 翌日(昨日)、火事のあった家の前を通ると、家の柱は残っているが屋根は穴が空いている。強い火勢だったようだ。 深夜の出火ではないから人的被害は出なかったと思う。しかし、寒空に焼け出された人は気の毒だ。近所とはいえ詳しいことは知らないのだが、年配のご夫婦が住んでいたのではなかったろうか。 国分寺市に住んでいた頃、すぐ裏の家が火事になるのに遭遇した。やはり確か夜だった。酔流亭が小学校に上がる前年である。子ども心に我が家もこりゃ燃えると思った。祖母が仏壇の前で一心にお経をあげている姿が今も目に焼き付いている。 幸い、火は我が家まで来ずに消し止められたが、怖かった。 一昨日の火事では焼けたのは出火した家だけで、類焼はなかったようである。お隣の家の外壁には火に炙られた痕が残っていた。 下の写真は上の文章とは関連しない。昨日、病院からの帰りに手賀沼沿いで撮影したもの。風が強くて沼の水面がすこし波立っていた。前夜の火事のときは風があまり無かったのはせめてもだった。
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by suiryutei
| 2023-02-22 08:59
| 身辺雑記・自然
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