新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
25日の夜にNHK総合で放送された中島みゆきの特集番組を、当夜は視られなかったので録画しておいて昨夜視た。 初期の作品『時代』から始まって45分間、じつによかった。 今年の労働者文学賞の評論・ルポ部門応募作の中に中島みゆきの詩を論じたものがある。それを現代のプロレタリア詩として読むという趣旨であった。だから昨夜は、TV画面に字幕が出る歌詞に注目しながら彼女の歌を聴いた。そして労文賞応募評論の論旨にかなり納得した。たとえば評論も精しく分析を加えている歌『ファイト!』(1983年)など。 神田まつやで蕎麦屋酒を時々ともにするIさんはデビューしたときから中島みゆきのファンである。反骨の人・Iさんが彼女の歌を好むのもよくわかった。 ところで中島みゆきが出した初めてのLPレコードが我が家にはある。1976年発売の『私の声が聞こえますか』だ。上下の写真はそのジャケット。さきほど久しぶりに引っ張り出して写真を撮った。 中島みゆきがデビューした1975年は、酔流亭も学校を中途退学して郵便局で働き始めた年。彼女のほうがすこし年上だが、同じ時代を生きてきたのだなあと改めて思う。 #
by suiryutei
| 2025-03-28 08:48
| 音楽
|
Comments(0)
わが家のあたり、木曜の朝は2週間に一度”資源回収”と称して空き瓶や空き缶、不燃物、溜まった新聞紙の束等々を町内の所定の場所に出す。今朝がそうであって、ついさっき、それらを持って行った。 この2週間で一升瓶は3本空いた。 さて昨日の朝のことである。3本目の一升瓶の底のほうに僅かに一合ほどの清酒が残っていた。 酔流亭は考え込んでしまった。この僅か一合ほどを残して、明日の朝、空の一升瓶を2本出しても、どうも中途半端ではないだろうか。昨日は昼も夜も用事があって、午前のうちに家を出なければならない。夜は外で飲んでくるはずだ。すると、僅か一合は空くことがなく持ち越される。すぐに出来るだろう空の一升瓶を次の資源回収まで2週間も置いておくのは目障りではないだろうか。いっそいま空にしておいて明日の朝は空瓶3本、耳を揃えて出すのがいいんじゃないか。 それに前日(25日)に東京は桜の開花宣言が出たばかり。桜花が開き始めた街をほろ酔い(一合だけなんだから、それ以上には進まない)気分で歩くのも春らしくていいじゃないか。 一合というのは、蕎麦猪口でちょうど盛り切り一杯の分量である。 TVを点けるとセンバツの準々決勝、群馬代表の健大高崎と岩手代表の花巻東の試合をやっている。前者は去年の優勝校だし後者は大谷翔平の母校だから、これは好カードだ。家を出る時刻が迫っていたので途中までしか視れず、9-1で健大高崎の勝ちという結果は後で知った。 桜は我孫子市ではまだ花が開いていない。都内では午前の時点では二分咲きほどか。気温が上がったから、午後はもう少し開いたろう。 花よりも黄砂と花粉にまかれたという感じだ。鼻水が止まらない。一合の酒にかまけて、家を出るとき花粉症対策の薬を飲むのを忘れていた。 夜の用事というのは『伝送便』4月号の再校作業であった。終わってからいつもの居酒屋へ。ここは利き酒用の盃を模して一回り大きなぐい飲みになみなみとあふれさせて酒を注いでくれる。正味で一合以上ある。銘柄は山形の上喜元。なお我が家で空にしてきた一升瓶の銘柄は和歌山の黒牛である。 蛇足ながら、ここまで書いてきたことは、空き瓶を出す日の直前に底のほうに酒が僅かに残ってしまったという滅多にない事態にやむを得ずとった行動。いかに酒好きの酔流亭といえ、普段から朝酒をしたり出がけに飲んだりはしていません。 【追記】 昨日の更新記事で朝日新聞のガザ通信員ムハンマド・マンスールさんの死亡に触れ、 <一緒にいた妻と乳児の長男も死亡したとも、妻子は病院の集中治療室で治療を受けているとも伝えられ、確認中だと、これは今朝の朝刊がそう報じている。> と書きましたが、昨日の朝日夕刊に 「その後の取材で、妻子が病院で治療を受けているとの情報があることがわかりました」 とあります。今朝になってその記事に気づきました。わずかにホッとします。 昨日の更新記事にも追記しました。 #
by suiryutei
| 2025-03-27 08:50
| 酒・蕎麦・食関係
|
Comments(0)
日脚が伸びてきて、なかなか昏くならないから、郵便受けに夕刊を取りに行く時刻も遅くなってくる。 昨夕は夕食を始めるとき夕刊をまだ取って来ていないのに気づいた。そうして取ってきた夕刊を開かないまま食べ(飲み)始め、お腹が落ち着いてきたところでようやく手にとった。 一面の下段に息を飲む。 ガザ現地で朝日新聞の通信員を務め、ガザの惨状を報告してきたムハンマド・マンスール氏が、もう1人のジャーナリストと共にイスラエル軍の攻撃によって殺害された。 一緒にいた妻と乳児の長男も死亡したとも、妻子は病院の集中治療室で治療を受けているとも伝えられ、確認中だと、これは今朝の朝刊がそう報じている。 ※追記。26日の朝日夕刊は「その後の取材で、妻子が病院で治療を受けているとの情報があることがわかりました」と伝えている。 ※さらに追記。4月5日の朝日新聞朝刊はマンスール通信員の妻の意識が戻ったと伝えている。「今も入院中で困難な治療が続いている」とも。(4月5日午前8時20分記) なんということかと思う。 イスラエル軍による殺戮(死者はとうとう5万人を超した)が始まって以来、マンスール氏が送ってくる報告は必ず読んできた。朝日新聞のそういう読者は多いだろう。去年12月27日の更新記事にもそれを書いた。 再掲して彼を追悼します。 イスラエル軍によるジェノサイドを止めるため、世界はもっと声を上げよう! #
by suiryutei
| 2025-03-26 08:15
| ニュース・評論
|
Comments(0)
このブログを22年前(2003年)に始めたときは、蕎麦屋の食べ歩き日記にするつもりであった。蕎麦屋という空間が酔流亭はそれほど好きなのである。 だから『水車小屋のネネ』という長編(500ページ近い)を読み始めてじき、どうやら蕎麦屋がこの小説では重要な舞台のひとつであるのだなと気づいたときは嬉しかった。タイトルにある水車小屋というのは、その蕎麦屋のすぐ近くにあって、蕎麦の実が水車の動力で回る臼でひかれている(つまり川沿いにある)。ネネとは、その水車小屋で飼われているヨウムという鳥の名。この鳥が賢くて、人間の発声を真似るだけでなく、いくらかは会話にも応答するので、終盤まで酔流亭はこれ作者が創作した架空の種類の鳥かと思っていた。しかし、実在するそうだ。実際に賢いという。 1981年に物語が始まったとき主人公の姉妹は姉が18歳、妹は8歳。二人は事情があって家から離れ、姉は蕎麦屋で働く。10年ごと2021年まで綴られる。ヨウムは50年くらいは生きるというから、姉妹の成長をずっと見ている。 なお作中では蕎麦という漢字は用いられず、そば屋と表記される。店名も書かれず、そば屋とあるだけである。そういうちょっと淡泊なところが作品の魅力であり、いっぽう物足りなさを感じる人もいるかと思う。書評、あらすじはネットにたくさん出ているので、ここでは書かない。 たとえば 酔流亭にとって心地よい4日間の読書体験だったとだけ書き留めておきます。 素敵な中表紙では、そば屋に掛かる暖簾が紺で、これ酔流亭が好きな蕎麦屋、神田まつやの暖簾と同じ色なのも嬉しい。
#
by suiryutei
| 2025-03-25 09:02
| 文学・書評
|
Comments(0)
一昨日(22日、土曜日)の朝刊に挟まれていたスーパーマーケットのチラシに「23日一日に限りレタス特価158円」とあった。 で昨日(23日、日曜日)そのレタスを目当てにそのスーパーへ行く。 あったあった、野菜売り場の真ん中に、たしかに158円のレタスが積まれている。 この冬、野菜はどれも高かった。レタスも。その値段の動きを教えるネット記事によると、この冬、レタスの平均価格は一個308円。去年のそれは211円だったというから、およそ一倍半高い。 なおネット記事が伝える最新価格は199円なので、昨日の158円はそれと比較しても安い。大きさは充分標準サイズである。ただし、その<特価>は昨日一日だけとのことだから、今日はもう200円前後になっているかもしれない。 昨夜の夕食ではレタスとキュウリにロースハムを散らしてサラダを盛大に食べた。今朝は今朝で、食パンをいつものようなトーストに焼かず、やはりレタス、キュウリ、ハムをはさんでサンドイッチとす。 (これは辛夷か木蓮か。近所の公園で) それにしてもこのところの食料品の値上がりはひどい。食料品だけではなく何でも上がっている。 経済地理学者のデヴィット・ハーヴェイは『資本論』でマルクスが分析した資本の原始的蓄積と共に、略奪による蓄積もあることを説く。原始的蓄積は封建制の胎内に資本主義がはらまれたときの一回性のもの。略奪による蓄積は資本主義が続く限りくり返され、こんにちのような新自由主義の下でそれは激しさを増す。このかんの諸物価値上げはまさにこの略奪による蓄積であるように思う。 なお斉藤幸平は「・・デヴィット・ハーヴェイは、本源的蓄積を<略奪による蓄積>と定義し」云々と書いているが(斉藤『人新世の「資本論」』249ページ)、それは斉藤の誤解である。ハーヴェイは本源的蓄積とはべつに略奪による蓄積も資本はやると述べているのだ。ハーヴェイの近著『反資本主義』(日本語版は2022年刊)にそれは詳述されている。
#
by suiryutei
| 2025-03-24 08:37
| 身辺雑記・自然
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||