新人事制度 大阪での報告①~③
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警察・検察の捜査が「違法」と断罪されたのだから、朗報ではある。しかし、そもそも事件そのものがあまりにひどい。 今朝は時間がないので事件の経過についてはネットでどうぞ。 容疑を(当然にも)認めず、そのため11か月にもわたって勾留され続けた3人のうち、同社顧問の方は勾留中に胃癌が見つかった。しかし保釈が認められないまま72歳で亡くなった。 酔流亭も2年前に摘出手術を受けた身だから言うのだが、胃癌なんて、よほど進行していない限り発見されてすぐ手術を受ければ助かる可能性はかなり高い。黒澤明『生きる』(1952年)の時代とは違うのだ。志村喬が演じたあの映画の主人公は、自分が胃癌だと知ったときから死を間近と思い詰めて別人のようになるのだが。 亡くなった顧問の方の胃癌が、見つかった時点でどこまで進行していたのか、報道に接した限りでは知りえなかったが、保釈が認められず勾留され続けたということそのものが癌を進行させただろう。勾留が2020年3月からで、同年11月に外部の病院に入院することが認められたときには癌は肝臓に転移、もう手術ができない状態だったとのことである。警察・検察・裁判所・国がやったことは殺人と言うに等しい。 事件の捏造といえば、思い出すのは横浜事件(1942~45)だ。これは何もないところに「共産党再建の謀議」なるものがでっちあげられた。戦争をやっている国家はえてしてこういうことをやる。 今回の大川原工機の事件捏造の背景には、中国を仮想敵としての<経済安全保障>なるものがある。 国がこれから戦争を始めたがっていることの前触れみたいな捏造事件である。そんな道を進んではならない。 ※横浜事件については、こんな過去記事が。 #
by suiryutei
| 2025-05-29 08:40
| ニュース・評論
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今年のNHK大河『べらぼう』はあんがい面白いのではないか。初めのうちあんまりちゃんとは視ていなかったけれど、このごろそう思う。 ドラマの中ではこのあいだ獄死した平賀源内(演・安田顕)に替わって、この前の日曜(25日)放送の回から太田南畝(蜀山人)が登場した。演じるのは桐谷健太。 その25日放送回のタイトルは『寝惚(ぼ)けて候』であった。寝惚け先生こと太田南畝に引っ掛けてのことであろう。 石川淳が「文学界」1938年1月号に発表した短編小説『マルスの歌』に、語りてが伊豆へ向かう列車の車中で太田南畝の本を開く場面がある。 「・・わたしは読むつもりでいた他の本を鞄の中にもどして、横浜で買った二合瓶の相手には快適に思われたこのうすっぺらな本をひらいた。寝惚け先生が銅脈先生に応酬する五言古詩ぶりの戯詠に・・(中略)・・この恐るべき達人のたましいはいかなる時世に生まれあわせて、一番いいところは内緒にしておき、二番目の才能で花を撒き散らし、地上の塵の中でぬけぬけと遊んでいられたのか。・・」 石川淳の南畝への傾倒ぶりが覗われるくだりだ。 『マルスの歌』についてはずっと前に一度書いたことがある。貼り付けておきますね。 石川淳が江戸文学を論じたものとしては『江戸人の発想法について』が有名だ。丸谷才一が若き日(戦争中)にこの評論を読んで「文士がこんなに学があっていいものか」と驚愕したそうである。石川にとって、江戸人の代表格とは太田南畝であった。 そろそろ折り返しに来たNHK大河『べらぼう』。後半はもっと本腰を入れて視るとしよう。
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by suiryutei
| 2025-05-28 09:13
| 映画・TV
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雨の季節が近づくと、紫陽花とともに目につくのはこの花だ。ドクダミである。 右下に朱いのはサツキ。季節の変わり目(5月と6月の境)を示すコントラストか。 このところぐずついた天気が続くせいか、ドクダミの繁茂は例年より勢いがある気がする。 加藤登紀子さんが日本語の歌詞をつけた『美しき五月のパリ』でも思い浮かべながら、逝く5月を惜しもう。 この『美しき五月のパリ』に窪田聡さんの手が入って『俺たちの道は』となり、さらに沖縄では山城博治さんが替え歌して『沖縄 今こそ立ちあがろう』となって辺野古ゲート前の座り込みなどでよく歌われていることは5月1日更新記事(『伝送便』誌5月号記事)に述べたとおり。 その沖縄では米軍兵士による犯罪が後を絶たない。沖縄戦後80年だというのに。
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by suiryutei
| 2025-05-27 08:56
| 身辺雑記・自然
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小説『別れを告げない』において、作者ハン・ガンとかさなるのは語り手である小説家キョンハだが、彼女に劣らず重要な存在は、キョンハの親友インソンである。キョンハが済州島4.3事件と向き合うにあたっては、インソンが導き手となるからだ。1948年に起き、少なく見ても2万5000人~3万人の島民が虐殺された4.3事件。インソンの両親はその生き残りだったのだ。 2人が出会った初めは仕事上のパートナーとしてであった。ライターとカメラマンという関係である。しかしインソンは写真家としての仕事のほかに記録映画も制作していた。 「大学で写真を専攻したインソンは20代後半からドキュメンタリー映画に関心を持ち、生計の助けにならないその仕事を粘り強く10年続けた。もちろん、稼ぎになる撮影の仕事も手あたり次第にやっていたが、収入があるたび自分自身の仕事につぎ込むので、いつも貧乏していた」(30ページ)。 そのようにしてこれまでに作った映画は3本。 最初の1本はベトナム戦争に派兵された韓国軍が現地で手を染めた性暴力事件のサバイバーたちにインタビューし、最後の1本は自身をも取材対象として済州島4.3事件を扱った。 その間に撮った1本は「1940年代の満州で朝鮮独立軍に入って活動していたという、ある認知症のおばあさんの日常を扱ったものだった」(31ページ)。 この「1940年代の満州で朝鮮独立軍」というのは、作中ではそう表現はされていないが<抗日パルチザン>のことであろう。そうした取材体験を経て、インソンは自身の歴史そのものである済州島4.3事件に迫っていく。その前の二つの映画について『別れを告げない』の中ではほんの僅か触れられるだけだ。しかし、そういう映画を撮ったインソンを通じて、読み手は作者ハン・ガンの問題意識を知ることができる。最初のベトナムでの性暴力は、自国の加害の歴史にも目を背けない、ということであろう。 満州における抗日パルチザンは、それを指導したとされる金日成が朝鮮の共和国のほうでは神格化されているので、韓国では触れるのがなかなか難しいのではないかと推測する。それだけに、こうしたかたちで自らの問題意識を明らかにしているのは立派だと思う。そして日本が朝鮮を植民地支配することで、かの地の人びとに過酷な独立運動を闘うことを強いたことに、日本の私たちは思いを致さなくてはならない。 20日更新記事にも書いたように『抗日パルチザン参加者たちの回想記』読書会に酔流亭は参加しています。 次回は下のように6月8日。 6月8日(日)午後1時15分~4時半 東京・赤羽北区民センター(JR北赤羽駅徒歩1分)第1和室 参加費 500円(要予約) 主催 前田年昭 電話080-5075-6869 tmaeda1966516@gmail.com ![]() #
by suiryutei
| 2025-05-26 08:01
| 文学・書評
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21日の更新記事で訃報を伝えた岩見崇さんの告別式は昨日、松戸市内で行なわれた。 喪主であるご長男の挨拶を聴いているとき、熊沢誠さんの著作『職場史の修羅を生きてー再論・日本の労働者像』に登場する銀行員、河部友美のことが頭をよぎる。 というのは、岩見さんも銀行で働いていたからだ。河部友美は1978年1月に47歳で交通事故死している。岩見さんは享年92だから、ほとんど同年配だ。2人は同じ時代を銀行労働者として生きたのである。 「河部友美はその半生を通じて、家庭では愛妻家の子ぼんのうであり、銀行ではまじめな仕事人間であった。しかし彼はまた、一方では執拗な反主流派の職場活動家であり、他方では終始一貫、反体制の論理を求め、抵抗に生きた人びとの生きざまを追慕してやまなかった真摯な勉強家であった」 (筑摩書房『職場史の修羅を生きて』1986年初版38ページ)。 岩見さんは女性だが、上の引用は男女を入れ替えれば、そのまま岩見さんを語るものとなるだろう。子や孫との仲が濃やかなものであったことは、昨日のご遺族がたの様子からも覗われた。 大切に持っていらした佐多稲子の文庫本に鳩居堂の包装紙を使ってカバーをかけてあったことも21日更新記事で写真付きで触れた。勤めていた銀行では銀座支店にいらしたという。ならばあの老舗文房具店へは仕事帰りにもしばしば寄られたろう。 熊沢さん著作中の「ある銀行労働者の20年」と題する章では、合理化が進んでいく中での河部ら左派活動家たちの苦闘と葛藤が辿られている。2012年、酔流亭がJP労組全国大会代議員選挙に少数反対派として単身立候補したとき、岩見さんに強く励まされた。ご自身の体験をふまえてエールを送ってくださったのである。 昨日の関東は曇り空で、真夏日近い暑さだった数日前までとは打って変わって肌寒いほど。葬儀日和なんて言葉は無いと思うが、喪服を着て参列するにちょうどよい気温で、心が洗われるようなお別れであった。夕方、帰宅する頃ようやく小雨が落ちてきた。
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by suiryutei
| 2025-05-25 06:39
| 文学・書評
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