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新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日は『伝送便』11月号の初校作業があった。下の写真は表紙と最終ページのゲラ。まあ、こういう感じで出来上がっていくわけです。31日に完成、発送となる見込みだ。 午後4時前からかかって、6時過ぎにはあらかたの作業がおわった。いつもなら編集仲間と近くの居酒屋で軽く一杯やるところ。しかし、昨夜は酔流亭は別にもう一つ用件があった。先に事務所を辞する。その別の用が終わって、帰宅したのは10時半である。 台所に連れ合いが焼きナスを用意しておいてくれた。かつお節をたっぷりかけ、おろし生姜を添え醤油を垂らす。秋の夜ふけの寝酒のアテとして最高である。富山の銘酒〔満寿泉〕を冷やのまま蕎麦猪口に満たす。 そうこうしているうち、夜は更けていって、風呂に入ってから寝床にもぐり込んだときには日付が替わっていた。 思い出すのは、郵便局で働いていた10年前までのことだ。深夜勤(泊まり勤務)の連続に入る前日は夜勤が指定されることが多かった。 夜勤というのは泊まり勤務とは違う。酔流亭の職場では午後0時45分に就労して、終わるのは9時30分。それから帰宅するわけだが、江東区新砂にある職場から千葉県我孫子市の我が家まで、その時間になると電車の接続があまりよくなくて、まるまる2時間を要した。家に着くのは午後11時半である。昨夜よりちょうど1時間遅い。 仕事帰りだから小腹が空いてくる。やはりちょっと飲みながら、食べる。ゆっくり寛いでいるわけではないのだけれど、それから風呂に入ると寝るのは午前1時を回ってしまう。 翌朝は7時前には目が覚める。陽が高く昇れば、いくら前夜は夜更かししたといっても自分だけ夜の世界に居続けるわけにはいかない。 深夜勤(泊まり勤務)が始まるのは夜になってからだから、昼のあいだ休む時間があることはある。酔流亭も昼食を摂ったあと夕方まで寝床にはもぐっていた。 しかし、昼間は眠れないのである。熟睡はまずできない。ウトウトできればいい。また、ウトウトでも横になれればだいぶ違うが、小さな子どもや介護を要する家族がいる人は、それができない場合も多い。夜の労働に備えての昼間の睡眠をとるということはほんとうに困難なのである。すると前夜6時間ほど寝ただけで、その夜は一晩中一睡もできない深夜労働に入ることになる。初日は、それでも昼間は動いていないから、なんとか乗り切れる。けれども深夜勤は連続して指定されるのだ。勤務が明けて、その夜また不眠の労働が待っている。その泊まり勤務と泊まり勤務の間の昼間は、酔流亭自身の体験では4時間くらい眠れれば上出来だった。 これって、かなりきついですよ。 (上は今日の朝刊の紙面) 昨夜のことに話を戻すと、寝酒を飲みながら眺めていた民放TVのニュース番組で高市新政権が打ち出そうとしている労働時間規制緩和のことが話題にされていた。他の局のニュース番組でもよく顔を見る女性コメンテーターが「労働時間規制よりも柔軟な働き方を進めることが大事」といったようなことを述べている。 飲みながらだからあまり集中して聴いていなかったし、深夜なので音声を小さくしていたので、よく聴き取れもしなかった。しかし、「柔軟な働き方」という言葉にひっかかる。 「柔軟な働き方」と言えば、なんだか働き手が自由な働き方を選べるみたいだが、実態は使用者にとっての「柔軟な働かせ方」ということである。コメンテーターは例として(1日8時間にこだわらなくても)10時間働いて、それを週4日やれば(労基法上の法定労働時間である)週40時間に収まるというようなことをおっしゃる。 先に述べた、酔流亭が10年前まで従事していた(そして現在でも郵便内務の職場で行なわれている)深夜勤(泊まり勤務)が、まさにそういうものだ。実働が10時間で、休憩1時間が中にはいるので拘束時間は11時間。 この深夜勤を二晩続けて、明け非番が入り、また深夜勤二晩。明け非番が入り、7日目が週休だ。 深夜勤・深夜勤・明け非番・深夜勤・深夜勤・明け非番・週休となる。 上っ面だけ見ると、7日間の中に非番が2日、週休が1日と休みが3日あって、なまじの週休2日よりラクではないかと思えるかもしれない。 だが、この非番は、朝まで徹夜で働いてきた非番である。一日をまるまる休める休日は最後の週休1日だけだ。 1日8時間という原則を緩め、トータルで週40時間ならいい、という柔軟化が郵便局における連続深夜勤務のような働かせ方を可能にしてしまった。働く側の身体のリズムや生活を無視した、働かせる側にとってだけ都合の良い柔軟化だ。 『伝送便』11月号にもまた記事が載るが、新東京郵便局(酔流亭が働いていた局)では、この1年半の間に6人の労働者が在職のまま死亡している。深夜勤の従事者、あるいはかつて従事していた人ばかりである。勤務の苛酷さとの因果がないわけはない。 この上の「柔軟化」「規制緩和」は何をもたらすのか。 ※関連して。『伝送便』10月号に書いた記事です。11月号にも別の執筆者による続報が載ります。 #
by suiryutei
| 2025-10-24 09:48
| ニュース・評論
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今朝6時前のラジオ天気予報によれば、今日は「およそ2週間ぶりに一日傘を用意しなくていい日」になるとのことだ。 そういえば、ぐずついた天気がずっと続いてきた。いつもなら9月に来る<秋の長雨>の時季が今年は10月にずれ込んだということだろう。 晴れに向かうと聴いても、気分は憂鬱である。手に取った朝刊の一面はこれだからなあ。 安保関連三文書が3年前、22年末に策定されたとき、こんな無理筋が通るのかと呆れたものだ。5年がかりで27年度までに防衛費(軍事費)を倍増させるというのだから。 ところが高市新首相は、明日予定されている所信表明演説で、その5年がかりを2年前倒しして今年度中に実現させると表明するという。3年前までGDP比1%だったのを3年で2%にし、その先は3.5%まで持っていくつもりだ。まだ先もあるだろう。 では、その財源をどうするのか。 人々を死ぬまで働かせること、福祉を削ることからひねり出す他ないだろう。かくて新聞にはこういう紙面が踊る。 働けない高齢者や病気持ちはさっさと死ねばいいから医療費も削る。公明を捨てて、新たに組んだ維新がさらに右へと引っぱる。そっちには公然ファシストの参政やN党もいる。 こんなニュースが飛び交うことの反映か、わがブログのこの過去記事にアクセスがけっこう来ている。 上に貼ったのがどういう記事かというと、9年前、2016年の初夏に季節外れの墓参りで多摩墓地に行ったとき、丸山ゆか里さん(政治学者・丸山真男のお連れ合い)のお墓を見かけた、そこに「アベ政治を許さない」と書かれた紙が貼られていた、というものだ。「アベ政治を許さない」とは、当時デモでよく掲げたプラカードである。 いま、9年前に書いたときに倣って「丸山ゆか里さんのお墓」と書いたけれど、つまり丸山家の墓所である。墓碑銘の一番新しいのがゆか里夫人であったので、9年前ついそう書いてしまったのだ。 それはともかく、アベ政治の路線をひた走って、さらに酷くしているのがタカイチ政治である。これを許さない運動をなんとしても創り出さないと、本当に戦争になるぞ。 #
by suiryutei
| 2025-10-23 09:22
| ニュース・評論
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都内では数日前から金木犀が香り出したという。すると、わが町・我孫子は都内より少し早いようだ。先週あたりが盛りだったような気がする。 まだ散ってはいない。ここ数年は、金木犀が香るころ台風がやってきて、せっかくの金色の花を散らしてしまうことが続いた。今年は台風とはぶつからないようだ。10月も下旬となれば、台風シーズンもそろそろ終わりである。 昨日は曇り時々小雨で、寒かった。わが家では午後、灯油ストーブを点ける時間があった。今朝は昨日よりもっと寒くて、朝食のときまたストーブを点けた。 雨の一日になりそうで、予報によれば日中の最高気温は12℃くらいだという。「12月中旬の気温です」とTVの気象予報士。 手賀沼の畔を歩いて夏の白い雲を見たのは、つい数日前だ。そのときは半袖のポロシャツ姿だった。今は火の気のない自室で半纏を着て(今季初めて)これを書いている。 今年の10月は夏と秋と冬がゴッチャになっている。
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by suiryutei
| 2025-10-22 08:29
| 身辺雑記・自然
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三鷹事件の竹内景助さん(1967年に脳腫瘍で獄死)のご長男、健一郎氏が亡くなったため、同事件の再審請求の審理が打ち切られると、昨夜7時台のNHKニュースで知った。刑事訴訟法では、有罪が確定した本人が死亡している場合は、再審を請求できるのは配偶者か直系の親族に限られているそうだ。 下の写真は6年前の東京新聞に載った記事。健一郎さん(当時76歳)も写っている。 今日の朝刊(朝日新聞)を手にして、これに関する記事をまず探してみた。見当たらない。既報なのかと、昨日の夕刊にあたってみたが、載っていない。朝刊をもう一度すみから隅までさらってみた。29ページ〔社会・総合〕面に見つけた。こんな扱いは小さ過ぎないだろうか。 上の記事にもあるように、鉄道設備の専門家による証人尋問が11月に行なわれると決定されたばかり。これだけ長い年月が経っている事件での証人尋問は異例で、再審への道が開けたかもしれないのだが。 下の写真の本は5年前に亡くなった加藤健一さんから頂いた。2人の兄を戦争で喪った加藤さんは平和遺族会などで活動されてきた方。 三鷹事件については4年前にこのブログに書いたことがある。この先どのような展開になるのか今はわからないけれど、真実が明らかになることを願って再掲しておきます。 #
by suiryutei
| 2025-10-21 09:06
| ニュース・評論
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昨日に続いてローカルな話題ですが・・。 我孫子市のマスコットキャラクターは〔手賀沼のうなきちさん〕である。 我孫子市は手賀沼に沿ってひろがる水郷地帯であるのと、その手賀沼にはむかし鰻がよく獲れたことに由来する。戦前まで、手賀沼で獲れた鰻は味がよいと評判だったらしい。海に下って産卵し、稚魚が川に帰ってくるのが鰻のライフサイクルと聞くから、内陸の手賀沼でどうして鰻が?という気もするが、近くを流れる利根川を通じて手賀沼も海とつながっていたのだろうか。そうだとすれば鰻は大旅行をしたわけだ。ともあれ戦後の高度成長が始まる頃には、もう棲息しなくなってしまった。 鰻の生態についての謎はさておき、〔うなきちさん〕の実物?を初めて間近で見た。 サンバカーニバルという催しが昨日あって、その観覧にお出ましなさったようだ。 今にも雨が落ちてきそうな曇り空だったから、踊り手たちはサンバの衣装では少し寒かったのではなかろうか。
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by suiryutei
| 2025-10-20 08:08
| 身辺雑記・自然
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