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今週月曜日(13日)の午後NHKBSで放映された映画『トラフィック』(2000年制作、米映画)を録画しておく気になったのは、いわゆる<麻薬戦争>を題材にした作品だと聞いたからである。 <麻薬戦争>とは、ネット検索するとAIがこう答える。 麻薬戦争(薬物戦争)とは、主に1970年代以降、米国が主導して違法薬物の生産・流通・使用を軍事・警察力で撲滅しようとする一連の政策戦略です。メキシコやフィリピンなどでの政府軍と麻薬カルテル間の激しい武装衝突や、市民を巻き込む血なまぐさい抗争が代表的な例です。 映画『トラフイック』のあらすじも、ついでにネットに説明してもらおう。 麻薬に汚染され切った大国・アメリカの首都・ワシントンD.C.で、麻薬撲滅担当の大統領補佐官に就任したオハイオ州のロバート・ウェークフィールド判事と、名門校に通う仲間らと麻薬におぼれるその娘キャロライン。カリフォルニア州南部の麻薬密輸の仲介を一手に担うエデュアルド・ルイス、カルロス・アヤラとその妻ヘレーナ。そのカリフォルニアで白人たちへのライバル心を抱きつつも 麻薬密輸を撲滅すべく一心不乱に任務を遂行する麻薬取締捜査官モンテル・ゴードンとレイ・カストロ。アメリカとの国境にあり、アメリカ人が求める麻薬供給ルートの中継地点となっているメキシコ最北端の都市・ティフアナで、バハ・カリフォルニア州警察の麻薬捜査官として働くハビエル・ロドリゲスとマノーロ・サンチェス。それぞれの役割で、麻薬密輸とそれをなくすための戦いに関わる人物たちの物語が同時進行していく。(ウィキペディアから) 映画を視ながら思ったのはベネズエラのことだ。アメリカがこの国を目の敵にし続け、とうとう今年1月、特殊部隊を送り込んでマドゥロ大統領夫妻を拉致するという暴挙に及んだ理由の一つには、ベネズエラが国を挙げて米国への麻薬密輸出に与していることが挙げられていた。 これは暴挙を正当化するためのこじつけであろう。駐日ベネズエラ大使のセイコウ・イシカワ氏は、こう述べている。 9月2日、米軍がカリブ海の国際水域で「麻薬密輸」が疑われる船舶に対して攻撃をおこない、11人を殺害したと報じられている。トランプ政権は、その船が「ベネズエラから出航し、麻薬を輸送中であった」と主張し、「麻薬テロリスト」と名づけて攻撃を正当化しようとした。しかし、本当に麻薬を運んでいたという証拠はこれまで何一つ示されていない。たとえ麻薬を運んでいたとしても、本来は船舶を止めて検査し、証拠を押さえて司法手続きに乗せるべきだ。民間船舶への一方的攻撃は、明らかな国際法違反であり、アメリカ自身が定めた法律にも違反している。 (略) トランプ政権はベネズエラ政府が麻薬取引に関与しているというが、根拠はなく、それはあり得ないことだ。アメリカの人権啓発団体「WOLA」は、ベネズエラの麻薬取引量は地域全体やコロンビアなどに比べて小さいというデータを示し「国家ぐるみの麻薬流通体制」という説明は無理があると指摘している。 米国政府機関の調査でも、ベネズエラは南米からの麻薬流出の主要な拠点ではないことが明らかにされている。米国政府自身が「ベネズエラは麻薬国家」というものがフェイク・ストーリーであることを重々承知で行動に出ているのだ。 では、カリブ海での軍事行動の狙いは何か? ベネズエラ政府に「麻薬国家」のレッテルを貼り、「ならずもの国家だから何をしてもいい」「国際法も国連も関係ない」という構図をつくり、軍事行動の正当性をアピールするためだ。そして、現在のベネズエラ政権を転覆させ、石油資源・利権を確保するための長年のプランに基づいた行動といえる。麻薬対策を口実にして隣国コロンビアに長期に介入し、親米政権を支えてきた歴史を忘れてはならない。 (去年10月22日に都内で行なわれた講演から。長周新聞サイトの去年11月5日更新記事から引用) カリブ海で何が起きているのか?――ベネズエラ情勢とコムーナ(共同体) 駐日ベネズエラ大使 セイコウ・イシカワ | 長周新聞 ![]() 映画『トラフイック』が描くのはベネズエラではなくメキシコとアメリカの間での麻薬流入だが、中南米の多くの国で事情は同じであろう。密輸組織の手は警察内部にも伸びていて、取り締まりは思うにまかせない。しかし、密輸組織の手が警察内部にも伸びているのはアメリカだって同じだ。そして貧困、格差、人種差別、あるいは富裕層においてもワーカホリック(働き過ぎ)等からくる薬物依存・・・。麻薬が浸透している原因は社会の内部にある。それと向き合わず、中南米の<反米国家>が麻薬を売りつけているとするのは、歴代米政権の、そしてことに現トランプ政権のフェイクだ。 映画と現実を同一視することはできないが、現実を鋭く衝く映画であったと思う。 なお『トラフイック』の監督、ステーブン・ソダーバークって、チェ・ゲバラを主人公にした映画を作った人だと、視終わってからネット解説を読んで気づいた。2008年公開の『チェ』二部作である。『トラフイック』でメキシコの国境沿いの町で奮闘する刑事を演じたベニチオ・デル・トロという俳優(この映画で2001年アカデミー賞助演男優賞を受賞)は、『チェ』ではゲバラその人を演じていた。 その二部作について、17年前に酔流亭はこんな感想を書いていた。 #
by suiryutei
| 2026-04-16 09:35
| 映画・TV
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ツバメは冬の寒い間はフィリピンとかインドネシアとか南のほうで過ごし、暖かくなると日本列島に飛んできて巣を作り産卵しヒナを育てる。桜前線の北上とツバメの日本列島への飛来はほぼかさなりあうように思う。花見に行ったら、その日にツバメをその年初めて見たなんてこともある。2015年がそうだった。4月4日に友人たちと荒川放水路の土手で花見をしていて、その年初めてツバメを見た。もう11年も前になる。 ところが今年はソメイヨシノが満開を過ぎてもツバメを見なかった。どうしたのかと気をもんでいたところ、昨日わが家の近くでもツバメが飛ぶのを見た。駅前のスーパーマーケットに買い物に行き、駐車場に車を止めて空を見上げると、スーッと飛んでいく。 あのスピード感がいかにもツバメだ。 ネットで調べてみると、今年はむしろ例年より早めに飛来が観測されているらしい。ところが、ツバメの数そのものは減っているのだという。だから昨日まで酔流亭の目に留まらなかったのか。 ともあれ春だ。ソメイヨシノは散っても、八重桜は今が見ごろ。
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by suiryutei
| 2026-04-15 08:32
| 身辺雑記・自然
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NHK土曜ドラマ『お別れホスピタル2』(4月4日に前編、11日に後編放送)を録画して視た。タイトルから察せられるように、死が間近に迫った患者ばかりの病棟が舞台のドラマである。 ドラマの中で時々流れるメロディに聴き憶えがある。エリック・サティ作曲のシャンソン『ジュ・トゥ・ヴ』だ。ドラマでは、患者がナースコールして、看護師が到着するのを待つ間に流れるメロディとして使われていた。 酔流亭が耳に憶えがあるのは、3年前の春先に入院していたとき、手術直後のベッドから起きられなかった数日以外は、毎朝午前6時の起床時刻になるとナースステーションの前まで行って体重と血圧を自分で計っていたものだが、その時刻にナースステーションで流れていた音楽がこの『ジュ・トゥ・ヴ』だったからである。ピアノのソロであった。 ドラマの終盤、岸井ゆきの演じる主人公の看護師と、彼女の相談相手みたいな若い医師(松山ケンイチ演)とが勤務を終えたあと居酒屋で『ジュ・トゥ・ヴ』の歌詞はなかなか濃いというか情熱的だという会話をする。たしかに邦訳では『あなたが欲しい』なんて訳されることもあるそうだから、濃い詞だ。酔流亭が病院で毎朝聴いていたときは、前述したようにピアノ曲で流れていたから、歌詞のことまで思いが及ばなかったけれど。 上下の写真は、シャンソン歌手佐々木秀美のCDのジャケットから。『ジュ・トゥ・ヴ』も収録されている。このCDは連れ合いが持っていたのを、3年前の退院いらい酔流亭がずっと手元に置いて時々聴いている。 歌が話題になったついでに。 昨日開催された自民党の党大会は、高市早苗党総裁が憲法「改正」への意欲を高らかにぶったことが今日の朝刊の一面や社説で報じられているが、社会面には、その大会の場で陸上自衛隊員が制服を着て登壇し『君が代』を歌ったという記事が載っている。 自衛隊員が特定の政党とそんなにくっついていいのだろうか。自衛隊員の政治的行為を禁止する自衛隊法61条に違反しているのではないか。 陸上自衛隊といえば、つい最近、現役の陸尉(23歳)が駐日中国大使館に刃物を持って侵入したことが騒ぎになったばかり。日本政府は潔く謝罪することもせず、日中関係の悪化に輪をかけている。反省の無いことである。 ※関連して #
by suiryutei
| 2026-04-14 09:11
| 音楽
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イランとアメリカとの停戦協議は不調に終わったようだ。もともとがアメリカとイスラエルが開始した一方的な攻撃である。アメリカとイスラエルが攻撃をやめれば戦争は終わるのだが。 米大統領のトランプは「日本と韓国はわれわれを助けてくれなかった。われわれは両国に基地を置いて守ってやっているのに」と、また不満をぶつけているらしい。勝手に居座って、こちら側の負担で好き勝手をやり、基地被害を撒き散らしておいて、何を言っているんだという話である。 さて今朝は休刊日で朝刊が来ない。昨日12日は日米が沖縄の普天間飛行場全面返還に合意してちょうど30年ということで、朝日新聞の朝刊はかなりの紙面を割いてこの問題の経緯を報道している。 たとえ辺野古に新基地が完成したとしても、それとは別に3000m級の滑走路を持つ施設(辺野古に作られる滑走路は1800m)が選定されていないと普天間は返還しないとする米シンクタンク論文(海兵隊から研究員として派遣の中佐が執筆)と、同じ立場を表明する米国防総省見解とが相次いで報道されたのは今年2月である。国防総省見解は去年9月に出されていたのが今年になってまず沖縄タイムスの報道によって日本では知らされた。 このことについて、もっと大きな議論が起きるかと思いきや、3月に辺野古沖で見学船が転覆して船長と修学旅行中の女子高生が亡くなるという不幸な事故が起きた。見学船は辺野古基地建設に反対する人たちが運航していたから、ネットでは今、基地建設反対運動へのバッシングが吹き荒れている。 2人の死は本当に胸が痛くなる。事故原因の検証はきちんと行われなければならない。同時に、抗議行動が続かざるを得ない現実があることがかき消されてはならないと思う。 『伝送便』誌4月号への寄稿を再掲しておきます。 「市街地に位置し、住宅や学校で囲まれ、世界で最も危険と言われる普天間飛行場」(防衛省HPから)。米軍から返還させて、その危険性を除去するための代替施設だというのが、国が辺野古新基地建設を強行してきた論拠である。ところが、その論拠が土台から崩れる報道が二月に二つ続いた。 まず、米シンクタンク大西洋評議会に海兵隊から研究員として派遣されている中佐が、同シンクタンクの公式サイトに二月三日付けで論文を発表。辺野古と普天間の併用を提言して、日米共同使用も促した。普天間は返還どころではない。 ついで、米国防総省が米国監査院に対して、辺野古の代替施設では能力が不足するため、代替となる長い滑走路が選定されるまで普天間は返還しないと二〇二五年九月に公式文書で回答していたことが二月一四日までにわかった。普天間の滑走路は二七四〇m。辺野古に建設が予定されているV字型滑走路は一八〇〇mしかない。 報道されたこの二つはもちろん連動している。シンクタンク研究員の中佐の論文は米国防総省の見解に沿ったものだ。 普天間飛行場返還の条件として「長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」という条項がたしかにある。しかし、この条項からは、どの民間施設(空港)かを選定しておけとまでは読み取れない。日本政府は特定公共施設利用法などで法的枠組みはすでに整っており、事前に滑走路を選定する必要はないという立場だ。 強まる(自分たちが強めた)対中脅威論を追い風に、これまでに合意していないことにまで踏み込んで普天間返還のハードルを上げようというのが米国の狙いだろう。合意の一方の当事者である日本政府はそれに抗議しなければならないのに、ただ「辺野古が唯一の解決策」とくり返すだけだ。しかし、このままでは、たとえ辺野古新基地が完成したとしても普天間は返ってこない。危険はそのままだ。そして辺野古基地の完成が土木技術的にも不可能(たとえば軟弱地盤)なのはこんにち多くの専門家が指摘している。 三〇〇〇m級の滑走路を持つ空港が沖縄には二つある。那覇空港と宮古島市の下地島空港だ。那覇空港は民間と自衛隊が共同で使っている。今後、日米共同使用が狙われてくるだろうが、そうなればこの沖縄の表玄関は過密化して、普天間の危険性が那覇に持ち込まれる。下地島空港はかつて一九七一年、屋良朝苗琉球政府主席(当時)が軍事使用はしないという覚書を国と交わした。日本政府は今年九月の沖縄知事選において玉城デニー知事を追い落とし、屋良覚書を破棄することを企んでいる。下地島空港のある宮古島は沖縄本島より台湾にずっと近い(沖縄島と台湾との中間あたり)。そこを軍事使用することになれば、中国との、またアジア全体での軍事緊張を高めてしまう。 基地問題の解決は基地を無くすことだ。代替施設に危険を拡散することではない。 ※関連して
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by suiryutei
| 2026-04-13 08:52
| ニュース・評論
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新年度になって初めて都心に出た。 その昨日、都内の最高温度は27℃を超えた。初夏の陽気である。上野公園ではソメイヨシノはとっくに終わって、今や八重桜が見ごろだ。後ろに写っている水面は不忍池である。 「連休のころ八重桜が散っていくのを見ながら飲むのもいいんだぜ」 学生時代に酔流亭に酒の飲み方を教えてくれたTがよくそう言っていたのを思い出す。彼と知り合ったのは1973年だから、もう半世紀以上前になる。そのころは4月10日過ぎならまだソメイヨシノ、八重桜が咲くのは月末近くになってからが普通だった。 半世紀のあいだに季節の進み具合が半月くらい早くなっている。 Tは今世紀に入って早々に急逝してしまった。まだ40代だった。 さて都心での用事を済ませてから、帰途は松戸に途中下車して、松戸在の友人と待ち合わせ、蕎麦の〔関やど〕で浅酌。 松戸が水戸街道の宿場町だった頃の風情が残る蕎麦屋である。気持ちのよい夕であった。 #
by suiryutei
| 2026-04-12 08:18
| 酒・蕎麦・食関係
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