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連休3日目の昨日は、ちょっと贅沢して市内の鰻屋でランチ。 ところが酔流亭は鰻が苦手なのである。家族3人で出かけて、連れ合いと娘は鰻重、酔流亭は鳥重を食す。 鶏をきれいに焼いたのがご飯の上に載って、美味しかった。 鰻のほうは、この店は関東風(蒸して焼く)と関西風(蒸さない)と、客の好みでどっちも選べる。2人は関東風と関西風をそれぞれたのんで、途中で交換していた。 上は関東風、下は関西風。 酔流亭も両方をすこしずつ分けてもらう。先に鰻は苦手と書いたが、一人分を食べようとすると途中で決まって気分が悪くなる。体質が合わないのであろう。しかし、少量食べるぶんには平気だし、鰻の味そのものは好きなのだ。 関東風は柔らかく、関西風はパリッとした食感である。この日のようにご飯に載せて食べるなら柔らかい関東風、酒のアテにするなら焼き上がりが香ばしい関西風が向いているかもしれない。 車で出かけたので、昼酒はやらなかった。 入り口脇、活鰻がビニール袋に。素材にこだわるご店主のようである。 ※普段は都内で暮らす次女が連休のあいだ今日まで我が家に来ている(文中<娘>とあるのがそう)。画像処理の仕方などを指南してもらった。今日の更新記事はその試作品だ。写真に枠取りが施されたり、サイズが微妙に違っているでしょう。これまでそういうことにも無頓着だった。
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by suiryutei
| 2025-10-14 08:11
| 酒・蕎麦・食関係
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Comments(2)
宮古島在の清水早子さんを招いての講座が明後日に迫ってきた。 その予習のつもりで、宮古島や石垣島、与那国島といった、いわゆる南西諸島で近年すすんできた自衛隊ミサイル配備をめぐってのネット記事を昨日はいくつか読んでみた。 ![]() 長周新聞のサイトに貴重なルポや論説がいくつも載っていて参考になる。たとえば 上の論考など、ぜひ読んでほしいところだ。日本は平和国家なんて、もうとても言えない。このまま私たちが黙っていたら、本当に中国と戦争になるぞ。 そのきな臭い話とは別に。 司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズでは全43巻のうちの6巻目で沖縄本島および先島とも呼ばれる南西諸島のいくつか(竹富島、石垣島、波照間島、与那国島)を訪ねている。1974年のことだから、今から半世紀以上前だ。 琉球処分(1872-79)をどう見るかなど、司馬の考えには同意しかねるところがある。同時期に他県でも断行された廃藩置県との共通性を司馬は重視するけれども、沖縄に対する日本の植民地主義という観点が司馬には弱いのではなかろうか。 ただ、先島の風俗や歴史を知る上では参考になる。このときの旅では司馬は宮古島には行っていないが。 司馬遼太郎という人は、小説家としての洞察力にはほんとうに感服するけれども、歴史を語らせると(ご本人は歴史を語ることが大好きだが)ちょっとどうかなというのが前から感じていること。沖縄をめぐっても、やはりそうである。 ともあれ、今は明後日の清水早子さん講座に多くの人が参加してくれるのを願うばかり。 HOWS特別講座 臨戦体制に向かう琉球弧の現在
島々を戦場にしてはならない! ミサイル基地化の進む宮古島からのレポート 講師=清水早子(ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会) 日時=2025年10月15日(水)18時30分〜21時 場所=本郷文化フォーラム・ホール (文京区本郷3-29-10飯島ビル1階) 地図 主催=HOWS(本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール http://www.hows.jpn.org/ ) 連絡先=TEL.03-3818-6671 hows@dream.ocn.ne.jp #
by suiryutei
| 2025-10-13 08:54
| ニュース・評論
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公明党の連立離脱という“大ニュース”と同じ日にかちあってしまったのも不運だったのだろう。10日に発表された石破首相の〔戦後80年所感〕はどうも影が薄い。わが家が購読している朝日新聞には全文は載らず、要旨だけが紹介された。社説では昨日も今日も論及されていない。 ネットを見渡すと東京新聞と日経新聞は全文を掲載している。酔流亭は今朝、日経のデジタルで全文を読んだ。 一読して思うのは、10年前の安倍〔70年談話〕の罪深さだ。石破80年はそれに呪縛されているのである。 安倍70年は、謝罪はもうこれっきりという宣言であった。これっきりなんて、謝罪をする側が言えることではないのだが、安倍という人はそういうことがわからなかった。そもそも内心では謝罪する必要なんて認めていなかった。 石破の内心はどうなのかはわからない。しかし、所感は安倍70年談話が敷いたレールを外れるものではなかった。日本の加害については語らないのだ。 「なぜ あの戦争を避けられなかったか」という問いかけは、総力戦研究所(1940年設置)などを持ち出しているから、主に対米戦争のことを念頭に置いているのだろうが、対米開戦よりずっと前から日本は中国との戦争を始めていたのだし、朝鮮を植民地支配し、中国から東北地方(「満州」)をむしり取っていた。米国のような強い国と戦ってしまったことを悔いる前に、自らの植民地主義に対する反省がなければならなかったはずだ。 ところで産経のデジタルは、こんな中途半端な石破所感でさえ我慢できないらしく、「歴史問題を蒸し返すような」と不満をぶつけ、なんと10年前の安倍談話の全文を掲載している。 ならば酔流亭も、その安倍談話に対する10年前のコメントを再掲しておこう。 今朝の朝日新聞『天声人語』はそれを「巧みに厚化粧した」と評した。「厚化粧」とは、もちろん批判を込めた表現であるが、酔流亭には「巧み」というよりジタバタと見苦しいものに思えた。 そういうものになったのは、あの戦争について中国に対しては日本は謝罪するほかないし、安倍氏も日本国の総理である以上は謝罪を口にせざるをえないのに、彼の内心は中国とは謝罪どころかケンカしたくてしょうがないからだ。しかし、そういう腹でいながら表向き「おわび」を口にしようと、それが相手に届くであろうか。 談話の初めのほうに「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とある。今朝の朝日紙面には談話に批判的な声がいくつも載っているが、この部分を問題にする人が国内の「識者」には見当たらないのに首を傾げる。朝鮮半島をめぐっての戦争であった日露戦争は、日本の朝鮮植民地支配に道を開いたものではなかったのか。日本による植民地支配責任について談話は素通りしてしまっているのである。紙面では唯一、1980年代に駐日大使を務めた英国のヒュー・コータッツィ氏が「日露戦争がアジアやアフリカを勇気づけたなど、ばかげている」と指摘している。日露戦争時の同盟国・イギリスからそういう声が上がっているのが皮肉ではある。 この箇所についての韓国政府の反応は鈍いように見受けるし、朝日に限らず日本のマスメディアはこういう場合、半島の北半分(共和国のことです)の声を紹介することはない。植民地支配したのは南に対してだけではなかったのに。 (2015年8月15日更新記事)
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by suiryutei
| 2025-10-12 08:46
| ニュース・評論
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今日からの連休、台風23号が近づいてくることもあって関東では天気がぐずつきそう。今朝も先ほどから小雨が降り出している。 しかし、昨日は初秋らしい青空がひろがった。午後、上野から神田まで行く途中、湯島天神に寄り、境内に登っていくと<男坂>の階段にこんな花を見かけた。 花の名はわからない。清楚な感じがいかにも秋の草花だ。 さて、神田ではいつもの蕎麦の〔まつや〕である。今月初めから、暖簾は紺に替わっている。秋から冬を越して春まではこの暖簾。 6月から9月は白い暖簾だ。8月、店がお盆休みのとき〔まつや〕の店舗を舞台に、現実の〔まつや〕と創作上の〔まつや〕が不思議に融合したような舞踏劇『食ってきな!』の公演が行われた。酔流亭は実演では観られなかったけれど、ネット配信で視て魅了された。その劇では夏の白い暖簾が涼やかであった。 昨日の蕎麦屋酒のお相手は畏友・Iさん。談論風発、杯をかさねる菊正宗の燗はじつに美味い。 というわけでたっぷり飲んだ。公明党が連立政権から離脱というニュースもIさんから聞いた。公明党にとってはよかったんじゃないの。高市自民党はますます右に行きそうだが。 〆にもり蕎麦を手繰って店を出ると、日はとっぷり暮れている。夜の風が爽やかだ。下の写真は入店する前、まだ明るいうちに撮った。二階部分を外から写したのだが、二階は店舗には使われていない。 #
by suiryutei
| 2025-10-11 08:53
| 酒・蕎麦・食関係
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目を覚まして、軽くストレッチをしてからパソコンを起動させる。画面に気温12℃と表示された。 午前4時40分である。外はまだ暗い。 急に気温が下がった。長かった夏も、とうとう終わったか。 (2~3日前から金木犀が香り始めた。花は付き出したばかりで、葉っぱに隠れてよく見えないが。) 昨夜、寝床をととのえるとき、何を掛けるか迷った。 この夏は、9月の終わり近くまで、寝るときに何も掛けなかった。下半身はパジャマを穿くが、上半身は丸首の半袖シャツ一枚だけ。パジャマの上衣は着ずにお腹にあてがって寝た。エアコンは夜中は点けない。戸建ての2階にいると、夏の日中は猛烈に暑いけれど、寝る前に窓を開け放って夜の空気に入れ換えればだいぶ過ごしやすくなる。それでも今年は彼岸ごろまでは扇風機には夜通し働いてもらった。 10月に入ってからは、毛布を一枚かけて寝るようになった。すると、ふりかえると、この夏は夏掛けというものを使わなかった。 昨夜迷ったのは、毛布一枚だけでは眠りに就くときはそれでちょうどよくとも、明け方寒いんじゃないか、と恐れたからである。しかし、毛布を二枚も引っ張り出すには、まだついこのあいだまでの猛暑の記憶が生々し過ぎる。 使う機会の無かった夏掛けの出番が回ってきたと思った。 毛布一枚と夏掛け一枚。今朝の我孫子市12℃の気温にはそれでちょうどよかった。 一日が始まる。 #
by suiryutei
| 2025-10-10 05:25
| 身辺雑記・自然
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