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このブログを読んでくださっている方から御年賀をいただいた。匿名であるので、送り主がどなたか詮索はしないが、ありがたいことである。 心からお礼申し上げます。 まず、切手シート。パンは大好きで毎朝食べていますよ。そもそも我が生家は1970年代まで国分寺市でパンとお菓子を商っていた。 そうして〔わさびごま〕。信州安曇野産の本わさびを使ったものだ。 刺身や冷やっこや蕎麦に合うと袋に書いてあるが、酔流亭は昨晩、ふりかけのようにご飯にかけて食べた。本わさびが使われているだけに、口に入れるとツンとくる。 正月呆けを覚ましてもらったようで心地よい。 ごちそうさま。 ありがとうございます。
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by suiryutei
| 2026-01-17 08:22
| 酒・蕎麦・食関係
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今月13日だから、三日前のことだ。 午後、千代田区外神田にある〔郵政共同センター〕(『伝送便』事務所もここ)に寄ったところ、賑やかである。 大きなテーブルに缶ビール、清酒の一升パック、乾き物のツマミ各種が並ぶ。 何の新年会? と思ったら、郵政シルバーユニオンの面々が機関紙【シルバーユニオン】の発送作業を終えて懇親をしているところであった。 その機関紙【シルバーユニオン】は昨日わが家にも届いた。こんな紙面です。 いきなり「全世界の老人よ」ときたぞ。シルバーすなわち退職者の集まりだから、たしかに老人だ。下の写真は、去年11月に東京セントラルユースホステルで開催された総会兼交流会のとき。この中に酔流亭はいませんよ。機関紙に同封されていた総会報告に載っていたもの。 13日に話を戻すと、機関紙に何か書いてよとお誘いを受けた。じつは去年夏、機関紙の〔おすすめ図書〕という欄に短い文章を投稿したのだが、届いていないという。おそらく酔流亭が編集部のメルアドを写し間違えたのだ。 その届かなかった投稿は、去年出版された『抵抗川柳句集』を紹介するものだ。レイバーネット日本川柳班刊。郵政シルバーユニオンの中心的メンバーの一人で、2年半前に亡くなった斎藤明男さんの作品も収録されているので、シルバーユニオン機関紙で紹介するのにピッタリだと思った。 同時に、似た内容の紹介記事を『伝送便』にも書いたし(去年9月号)、郵政シルバーユニオンの組合員はほとんど『伝送便』読者でもあるので、酔流亭のミスで編集部に届かなくても、まあいいか、とも当時考えたのである。 改めて機関紙に載せてもらうには、ちょっと時間が経ち過ぎてしまった(書いた日付は去年8月3日)。ここに紹介しておきたい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ シルバーユニオン<おすすめ書籍>寄稿(したつもり) 『抵抗川柳句集』 レイバーネット日本 川柳班 編著 頒価700円 戦後80年、治安維持法100年を期しての出版だ。 冒頭に『王様は裸だ』という文章を寄せ、 「優れた川柳は、おかしな現実を皮肉や笑いとともに可視化する。思い込みや刷り込みのベールを突き破り、おかしな現実をみんなに気づかせてくれる。」 と、川柳の役割を述べる柳 広司という名前に見覚えがあると思ったら、『南風(まぜ)に乗る』などの小説を書いてきた人である。瀬長亀次郎の生涯を描いていた。近作『アンブレイカブル』では鶴彬(つる・あきら)も登場する。鶴彬(1909-1938)は治安維持法違反に問われて29歳で獄死した川柳作家だ。 続いて「おかしな現実を皮肉や笑いとともに可視化する」現代の川柳が並ぶ。作者はお馴染みの乱鬼龍さんを初め多数。 人道的にやれと黙認ジェノサイド 笑い茸 笑いではなく怒りがこみあげる。作者も怒りを噛みしめて詠んでいるのである。 嬉しいのは、シルバーユニオンの仲間であった斉藤明男さんを追悼するために1ページが割かれていることだ。斎藤さんは一昨年7月15日に78歳で逝去。川柳作者としては<すなふきん>という名前でレイバーネット川柳でも常連作家であった。 6句採られているうちから、つぎの二つをここにも引いておきたい。 加害者にならぬ覚悟の九条だ この道を続く人へと茨(いばら)刈る 購読申し込みは03-3530-8588 レイバーネット日本まで。 ![]() #
by suiryutei
| 2026-01-16 08:03
| 文学・書評
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JR常磐線の我孫子駅のホームに〔弥生軒〕という立ち食いそば屋がある。夜遅くなると、常磐線から成田線に乗り換える乗客で賑わう。なにしろ成田線は30分に1本くらいしか発着しないし、どうかすると40分くらい運転間隔が空く。立ち食いで蕎麦をたぐる時間は充分にあるのだ。入り口にこんなポスターが貼ってある。 説明文に「駅弁の包装紙・・」とあるのは、〔弥生軒〕は元々は駅弁を製造販売する店だったから。山下清が働いていたのも、駅弁屋だった時代だ。 いまネットで調べると、〔弥生軒〕は1983年まで駅弁を我孫子駅で売っていたという。すると、酔流亭が我孫子市に引っ越してきたのは1978年だから、その頃まだ我孫子駅には駅弁があったのだ。 越してきてから数年は、我孫子駅より一駅下った天王台駅(ここも我孫子市内)まで乗って、そこからバスを使っていたので我孫子駅は素通りしていた。それで駅弁があることにはずっと気づかないでいたようだ。 包装紙に山下清画伯の絵が描かれていたという我孫子の駅弁、食べてみたかったな。 現在の〔弥生軒〕は駅そばだけの営業で、我孫子駅と天王台駅の両方に店を出している。 #
by suiryutei
| 2026-01-15 08:25
| 身辺雑記・自然
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山梨県で起きた山火事がなかなか鎮火しない。上野原と大月の間のあたりだという。 報道で<大目>という地名がしばしば出てくる。ずっと前に読んだ『貧困旅行記』(つげ義春 著)を思い出した。1991年の刊行当時すぐ買った本である。 この本に<旧甲州街道に残る犬目宿>というところが出てくるのだ。〔猫町紀行〕という章である。漂白癖のある漫画家は、友人と車でそこを目指し、ところが道に迷ってたどり着けなかった。いや旧宿場跡らしい隠れ里のような集落を通り過ぎて、あるいはそこが犬目?とも思いかけたが、結局確認できず、帰途に着いたようだ。 いま山火事によって延焼の危機にさらされている大目地区とは、この犬目のことではないだろうか。ネットで調べると、どうもそうらしい。 つげ義春は道に迷いながら、萩原朔太郎の『猫町』を読んだときの体験を思い出す。 「『猫町』とは、もの思いにふけりながら散歩する癖のある詩人が道に迷い、白昼夢とも幻想ともつかぬ猫の町に迷い込んでしまうという話である。」(晶文社刊、103~104ページ) つげは、犬目という地名から、犬→猫という連想がはたらいた。 そのときの訪問の翌年、1970年に大火があって犬目宿は大半が焼失した。そのことをつげ義春は数年後に辺りを再訪したとき土地の人から聞く。 ともかく山火事が早く鎮火することを願う。空気は乾いているし、風は強い。なかなか大変だろうが。 #
by suiryutei
| 2026-01-14 08:50
| 身辺雑記・自然
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長編小説『普天を我が手に』を、年を跨いで読み終えた。奥田英朗著、講談社。 全3巻のうち、2巻目を読み終えた時点での感想は旧臘12月1日の更新記事に書いた。 12月17日に刊行された3巻目を読み始めた途中でも、こんな更新記事で作品に触れている。 というわけで、同作の輪郭を知りたい方は上に貼り付けた二つの過去記事を覗いてください。 一つ目の過去記事で、戦後まもないころ皇室財産をめぐって竹田志郎と論争した共産党東大細胞キャップがテもなく言い負かされるのはリアリティに欠けるのではないかと指摘した。その東大細胞キャップの名は渡部であった。彼はじき共産党から離れて、卒業後は新聞記者となり、時を経るにつれ記者にとどまらず政界に深く食い込んでフィクサーのような存在になっていく。どうやら読売新聞の主筆を長く務めた渡邊恒雄に擬せられているらしい。いまネットで調べると、実在した渡邊恒雄はたしかに1926年生まれ(2024年没)。竹田志郎たち、この小説の4人の主人公と同じだ。 渡部に限らず、主要な登場人物たちは世の中を順調に上昇していく。小説の題名どおり<普天>を目指して? 彼らが壮年期を迎える3巻目では、それがちょっと白々しくなる。たとえば竹田志郎と、彼の終生のライバル矢野四郎は、<昭和>が終わる頃にはとうとう総理大臣を目指して、自民党総裁選において決選投票で相まみえる、といった案配だ。上に貼った過去記事の二つ目で <途中まで読んだ時点では、森村ノラも含めて主人公たちの歩みが順調すぎるようなところがちょっと気になる。作者は世の中全体が見えているのであろうか。> と述べておいた。その危惧どおりになった気がする。 そこまで行く途中では、戦後の大事件が次々登場して、4人のうち誰かしらはその事件に絡む。田中金脈の追及にあたっては竹田志郎は検事としてその急先鋒だったし、赤軍派による日航機ハイジャック事件に際しては矢野四郎が乗客の身代わりになって人質になる。それらの事件、田中角栄は田沼角蔵、よど号はかつら号と、すこしずつ名前を変えられているのはご愛敬だ。渡邊恒雄の渡邊が渡部となっているのと同様である。 このあたり、歌謡ショーで名曲メドレーを聴かされているような感じがしないこともない。肝心の主人公たちが躍動しなくなってしまった。
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by suiryutei
| 2026-01-13 08:08
| 文学・書評
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